共存を目指して
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年月日
環境サミットとか称する会議があるというんで、マスコミは「環境、環境」って大騒ぎ。そういう連中はついこの間までは、「人間の命は地球より重い」って言ってたんだよ。ブラジルの森林伐採は止めようと言っているけど、ブラジルで暮らしている人は、それをしなきゃ食えないのにどうしてくれるということになる。農薬を初めとする化学薬品の毒性は厳しい基準があるけれど、自然の植物がもっている毒性には規制がないから、かえって自然のままのほうが恐ろしいという話を聞いたことがある。今環境破壊という言葉を耳に胼胝ができるほどきいた。だとしても地球ファーストにしすぎるあまり、人間という生物をないがしろにしていることが問題だ。
一つ目に原因として、都市部として持っている者が持たざる者に自然を押し付けているところがあることではないだろうか。車の排気ガスが地球に負担をかけているのは有名な話だ。そのため車を使わず公共機関に切り替えろ、ということは分かる。だが、田舎の高齢化社会で公共機関を動かせる人材は間違いなくそういないだろう。それでいて免許を返納しろだの、公共機関を使えなどは周りのことが見えていないように感じる。私の祖父母は、長崎の五島列島に住んでいる。そこは如何にも田舎で小学生は十人を下回っている。そのような状態の島では、公共交通機関を動かせる人材もおらず島バスは一部の区域でしか運航されていない。車は事故を起こそうが切っても切れない環境になっている。その結果そこではいくら環境のためとはいえ都会に住んでいる田舎の苦労知らずの身からすると公共交通機関を使ってくれとば言いずらい現状である。やはり、持っている立場から持たざる立場の者に押し付けることは問題だ。
二つ目に対策として、人間を生物的視点で見ることだ。まず第一条件として、人間は動物である。それでいて、雑食動物という分類に入る。故に、植物性の栄養素と動物性の栄養素が必要不可欠である。だが、世界的に活動しているヴィーガンの中でも強火の者たちは我々を草食動物か動物性の栄養素を必要としない新たな雑食動物とでも考えているのだろうか。確かに、人間は長年に渡り発展やそこからの発展のために地球を壊してきた。ひいては動物たちにも多大な影響を与えてきただろう。だがそれらはただの進化に過ぎないのではないだろうか。例えば、地球はもともと大きな海であり生物の多くがそこで誕生していったわけだが、食物争いに負けたりした魚は地上で生きていけるように進化した。さらに、陸にも動物が増えてきたことでさらなる生存のために恐竜や小動物に進化していった。以上のことから我々人間も生きるために生きやすくなるために進化しただけではないだろうか。やはり、一度人間も生物として考えてみるべきではないだろうか。
確かにある程度の制御はこれから必要となってくるだろう。しかし「植物はたった一本では決して生きていけないのだそうです。多くの植物が集まることによって、お互いが利益を得、共存しているのです。これは人間社会も同じだと思います。」というように地球と人間も共存していかなくてはならない。