視覚系は(感)
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  形の認識は視覚だけでなく、触覚や聴覚も関与するものであり、私たちは複数の感覚を通して形を把握している。形は物そのものの属性であると同時に、脳の中で再構成されるものであり、単に感覚器官が捉えた情報だけでは完結しない。視覚は非常に有効な感覚であるが、得られる情報は相対的なものであり、絶対的な大きさを判断することはできない。このため、人は外部の基準を必要とする。視覚系は進化の過程で、絶対的な尺度を持たず、比率や相似といった関係性に基づいて物を判断するようにできている。これは、視覚情報を処理する脳の構造とも深く関係しており、形の理解には、物の側面と認識する主体の両方を含めて考える必要がある。

 確かに相対的ということは、私たちにとって便利だ。私はよく成績は順位を見て良かった、悪かったについてよく見る。点数だけでは自分は他と比べてできているのか出来ていないのかが分かりにくいからだ。例えば数学のテストをして自分の点数は75点だったとする。しかし、このテストは満点の人が数名いるということを知っている。このような場合自分は全体から見て、できているのか、できていないのかがよく分からない。一方、数学のテストをして自分の点数は75点であり300人中30位とすると全体の一割に入っているため自分は全体的にできているということがわかる。そうなればモチベーションの維持につなげることができる。このように相対的にみることで自分がどのような状態であるかを確認することができる。

 しかし、人生には絶対的なものが必要なときもある。受験するときなんかは「この学校に入りたい」という絶対的なものでやる気を起こしたりする。私は中学受験をするとき、この学校に入りたいから勉強するんだ!と思いながら勉強していた。周りと比べることも個別塾に通っていたこともあり、あまりなく絶対的なものでやる気を起こしていた。周りの人と比べるとしたら小学校で受験する友達とぐらいだけだった。このように絶対的なものはやる気など長期的にでも出させてくれる。

 確かに、相対的なものも、絶対的なものも、どちらも大切だ。しかしは「できあがった規則をなんとか守ろうとすることよりも、実態に合わせて規則を変えていくことが、真に規則を生かす道である。」という名言もあるように、絶対的なもの をひとりで決めていくよりも、生きていく中で他人と協調しつつ判断していくことが大切だ。