ヨーロッパと日本
中2 すみひな(sumihina)
2025年9月3日
ヨーロッパでは、日本との違いが多数存在するのだが、その一つとして国民意識の違いがある。ヨーロッパでは、国民の在り方が独立的で、市民や職業を超えて互いを対等とみなしている。それに比べ、日本では敗戦後に民主主義が盛んになったものの、実際の生活独立精神があまり根付いていないと私は思う。むしろ日本人の多くは「和」を重んじる文化のもとで同調圧力に縛られ、周囲と違う行動をとることを避けがちではないだろうか。そのため、独立した個人として生きる姿勢がとれていないのだと思う。日本人は同調から抜け出し、互いに寄りかかり合うのではなく、自立的に行動する国民意識を育むべきだと私は思う。
なぜなら、自立した個人であることが、社会の基盤となっているからだ。周囲に合わせて流されるだけでは、何か新しい挑戦をすることも、問題点を改善することもできない。私は、学校での数学の授業で一人だけ違う答えを出してしまったことがあった。その時は間違っていると思って、消してしまった答えが、次の授業の際に、その答えが合っていたと分かって悔しかったのを覚えている。また、これは社会的な問題でも同じことが言える。政治でも同じ意見を言っていれば安心かもしれないが、もしそこに明らか不正があっても誰も声をあげられなくなってしまう。孤立を恐れずに自分の意見を主張する人がいるからこそ、組織や社会は前進できるのだ。したがって、孤立する勇気は個人に不可欠なものである。
一方で、孤立だけを重んじていては効率が悪く、社会全体の発展を妨げる危険もある。人間は社会的存在であり、協力し合うことでより大きな成果を生み出せるからだ。例えば、スポーツの世界ではチームワークが欠かせない。サッカーやバスケットボールのような競技では、個々の選手が優れた能力を持っていても、協力がなければ勝利は簡単に手に入れられるものではない。パスをつなぎ、役割を分担し、互いを信頼することで初めて力を発揮できるのである。実際、スター選手だけに頼るチームはしばしば失敗するが、全員が連携を重視するチームは大きな成果を上げる。孤立と助け合いの両立があってこそ、社会は力強く発展できると私は思う。
確かに、孤立して自分の意見を持つことも、協力して助け合う姿勢も社会の発展のために大切なことだ。しかし、私が一番大切だと思うのは、他人に頼らなくても自立できる個人を築くことだ。自立した個人は、同調圧力に抗う強さを持ちながら、必要なときには他者と協力する柔軟さも兼ね備えることができる。つまり孤立と協力のどちらにも流されず、自分の軸を保ちながら生きることこそが、これからの日本社会に求められる姿なのではないだろうか。私にはまだどちらにも適応することは難しいが、圧力で他人と協力するのではなく、自分の意志で協力することならできると思う。外から与えられた模型をそのまま取り入れるのではなく、日本人自身の生活の基盤から、人格を築いていくことが将来の活力を生み出していくのだろう。