あいさつで始まる人間関係
小5 わかば(akahime)
2025年9月2日
互いに見知らぬ者同士が出会うときは、言うまでもなく、すでに知り合っているものの間でも、出会いがある程度の離別の後で起こった場合には、動物・人間を問わず、一般に挨拶行動がみられる。社会生活を営む人間にとって、分かれて時を過ごすということは、私たちが思っている以上に他者に対する言い知れぬ不安を募らせるものらしい。私たちにとって、互いに分かれているということが、どれほど不安で心配な者なのかよく理解できると思う。
「ヤッホ―。」
私の日常生活の中で、非常によく『あいさつ』は使われる。知り合いに会ったときにも、知らない人に会ったときにも、あいさつはする。他人や、長い間あっていなかった人に向けてのあいさつの場合、丁寧に、警戒心を持ちながら話す。相手がどんな人か知っていないのに、うかつになれなれしく話すと、相手が怒り、危害を与えてくるかもしれない。だから、相手がどんな人かを見極めるために、私はあいさつをする。前とても仲良かった子と再開したときでもそうだ。長い時間が経ってからの再開は、とても緊張する。その例として、私が毎年行っているスキーキャンプなどを挙げよう。スキーキャンプ中に同じ生活班の子と、とても親しくなり、来年もスキーキャンプに行って会おうという話になる。そして、その次の年、その子とまたキャンプで出会う。すぐに気が付き、話しかける。しかし、最初は会話のキャッチボールが長続きしない。でも、だんだん話していると盛り上がってきて、また元の関係に戻る。初め静かだった理由は、相手がまだ同じ性格でいて、仲良くできるか不安だったことだ。お互いに探りあっていると沈黙が続いてしまう。そして、その審査にお互いが通過すれば、また仲良くすることができる。仲良くなるには最初の挨拶が肝心で、それに失敗するとなかなかチャンスはめぐってこない。気が合わない人、と相手に印象付けられてしまうからだ。でも、逆に言えば、嘘の言葉であいさつして、気が合えば仲良くなれてしまうともいえる。まるであいさつはお面のようだと思った。
父の、あいさつ審査の仕方を聞いてみた。すると、あいさつして盛り上がったり、片方が質問するだけでなく、同じ量をお互いに話すことができれば仲良くなれると話してくれた。それを聞いて、まず父もあいさつで相手を試していたことにびっくりした。もしかしたら、日本という国境を越えた世界でも、皆あいさつで仲良くなるきっかけを作るのかもしれない。そうだとしたら、あいさつはとても大切なものだと思う。そんなあいさつがなくなってしまったら、世間はどうなってしまうのだろう。みんなに友達がいなくて、つまらなくなるかもしれない。そうしたら、学校だって中休みに遊ぶこともなくなって、ただの勉強する場所になってしまうだろう。そのせいで、子供たちの学習意欲が下がり、十年後二十年後には頭の悪い大人だらけになって世界が大変になってしまうだろう。このように、あいさつがないと、人と人との触れ合いがなくなってしまうのだ。
あいさつで、人と人はつながっていることが分かった。
「バイバイ。」