個と集団
   中2 あかるら(akarura)  2025年9月3日

 文化を欧州と日本とで比較すると思い浮かぶのは市民意識の堅固さである。欧州では個人の在り方が強く頼もしいのだが、時に自己満足的な匂いを発散させる。しかし日本においてこのような特徴は今なお欠けている。現代の日本人がやがて自立的な個人の在り方を身につけるときがあるにせよ、短所も取り入れてはならない。模型を追うのでなく、日本人が現在における生活の基盤から、自力をもって追求していかねばならない。全ては日本人自身の内部からの力が湧いてなされねばならぬのである。



確かにヨーロッパのように個人が自立することは良い。なぜなら人間は自己と相手を尊重できるからだ。個人として行動することは自分で計画し、実行することである。これによって能動的に物事を吸収し、得た学びを周りに伝えることができる。私の学校の帰国子女達がまさにそうである。彼らは個人が自立した世界を目の当たりにしている。そのため議論が活発化する。ディベートの授業では帰国子女達を中心に自分の意見を言い、場を盛り上げる。特に英語のクラスではあちこちから意見が飛び交う様子に圧倒され、話し合いへの参加が難しいときもある。しかし彼らはみんなの意見を聞くことをもしっかりと意識している。このように意見を自由に言い、また相手の考えに耳を傾けることができるのはつまり、自分と相手を尊重しているということだ。日本では「みんなが賛成しているから…」と多数派に従う様子が目立つ。確かにこれには方針を速くまとめることができるという良さがあるが、風通しの良い議論はできていない。相手のことを思う第一歩は相手の話を、自由に意見を伝え合うことのできる環境でしっかりと聞くことではないだろうか。



 一方、日本のように相互の助け合いも大切だ。「個人の自立」と言っても、「天は二物を与えず」ということわざの示すように、一人一人ができることには限界がある。だからこそ、それぞれが得意なことを互いにやっていくことで今までに見たことのない作品を作り上げることができるのだ。私の学校では来週開催される文化祭に向けて準備を進めている。夏休み前から作業が開始され、今では装飾のみという状態になったが、ここまでスムーズに進めることができたのはそれぞれの得意分野を活かし真剣に協力しながら取り組んできたからだ。パソコン作業や企画、飾りつけの得意な人、どれかの役割が欠けていれば今までできなかったことである。確かにそれぞれの部署ごとに食い違いができてしまったこともある。しかし、一人一人が相手を思い、助け合うことで全体のレベルを上げることができることを私は改めて知った。文化祭まであと少しだが、最後までチームメンバーと団結し二年生の一番の思い出にしていきたい。



 ヨーロッパの伝統にも日本の伝統にもそれぞれ良さがある。しかし一番大切なことはまず自分の考えを持ち、これを大切にすることだ。「絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それがもっとも素晴らしい偉業である。」という言葉がある。どちらの環境に身を置いたとしても、自分の意見を常に持ち、尊重することができなければ何も始まらない。私もまずは新しく知った一つ一つに対して自分で考えることを忘れずに過ごしていきたい。