世界じゅう、どこに行っても(感)
   小6 ちっち(aohihu)  2025年9月3日

 世界中どこへ行っても日本人は、人と馴染みづらい。日本人は、仲の良い人だけと固まり、なかなか違う人に目を向けてくれることが少ない。と筆者が言う。なぜそのようなことが起きてしまうのであろうか。多分、自分たちの文化的カプセルが濃いからだと私は思う。私は、アメリカと日本のハーフで、あまり日本の文化的カプセルが濃いわけでもない。日本人の中には、とても濃い人がたくさんいる。最近の若者もそうだ。最近の若者は、大体二人でつるんで遊ぶことが多い。ディズニーランドへ行った時、二人で来ている女性や男性がたくさんいた。それに比べて、日本人以外は、たくさんの人と楽しく自分の意見を交わしているのである。なぜ日本人だけがこのようなのだろうか。でも、私は、この意見に賛成しない。私の実例から見てみると、毎回日本人が文化的カプセルが濃いのではないことを表してくれたからである。



私は、学年、初めての日にとっても緊張してしまう。なぜなら、友達がいなかった場合、私が話すことのできる友達がいないからである。初めての日、ドキドキしながら、クラス替えの結果を教えてもらう。「ぱん」心の筋が切れた。友達と別れてしまった。「誰とも話すことのできない1日が毎日続くのかー」そんな予想をしてしまう。「こんにちはー」先生に向かって挨拶をする。なぜ、みんなは、そんなにニコニコできるのだろうか。「誰と座ろうか」そんな心の声が聞こえてくる。「一緒に座ろうー」そんな会話が聞こえてくる。「一緒に座ってもいい」。思わぬ言葉を心の中で繰り返し、最後には、声に出していた。一人の女の子が近くにやってきて、「いいよー!一緒に座ろう!ここあいているよー!」と声をかけてくれた。その言葉にどれだけ助けられたか。今でも忘れられない景色だ。みんなが話しかけ合い、自分が友達になりたいと積極的に思っていることが感じ取ることができるからである。



バレエでも私は、元々友達はいたが、みんなやめていってしまった。だからひとりぼっちのような感じになってしまった私は、発表会の日、自分の居場所を見つけることができた。友達と馴染めなかった時よりもとても楽しい気分でいられるこの時間がとっても幸せであることを伝えてくれる。発表会がきっかけでやっとでも喋れることができた友達。大切な友達がそばにいてくれると、なんだか安心する。私が友達になりたい、と思ったから努力して一緒に友達になれるようにきっかけを作ることをし、みんなそれを受け入れてくれたのだ。



自分に勇気が必要な時、そばにいてくれる人、一緒に怒ってくれる人、それこそが友達の絆なのである。やはり、自分の努力により、みんな受け入れてくれる場合や、受け入れてくれない場合がある。つまり、筆者の言っていた日本人が文化的カプセルが濃すぎるという意見について私は、反対する。そのような場面を日本人が見せることもあれば、そのような場合ではない時があることを私は、知っている。私が、経験した中で、感じることができたのである。