文化ということを
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文化ということを
「職業、地位、階級などの別なしに、人間は市民として互いに対等の存在である。で、各人はそういうものとして自己を把握しているから、個人としてその在り方が独立的で、強く頼もしい。そして、社会はこういう人たちの寄り合い、約束の場である。日本の生活意識においては、このことは、一部の人たちに概念的に受け取られているほかは、今なお全く欠けているのである。前述のヨーロッパの長所は、同時に短所を伴っている。強い市民意識は、非常にしばしば、せまくるしい、自己満足的なそして利己的なにおいを発散させる。人の生活に無用に干渉しないかわりに、自分さえよければいいという態度が、ほの見える。社会において一戸の存在として通るという事だけに最終の目的があるかのように、外的な立派さの陰に空虚がのぞいている。現代の日本人が、やがて自律的な個人の在り方という彼らの文化の長所を身につける時があるにせよ、この短所までも一緒に取り入れるのではつまらない。ヨーロッパ的市民性を模型として、個人の強力な事故把握を目指すなら、おそらく前述した長所・短所の分離的接種は不可能である。しかし、それではいけない。人格の確立ということは、他人の基盤から、自力を持って追求しなければならない。」という課題文を読んだ。
確かに個人の自立も大切だ。ぼくは、まだ幼稚園に入る前小さい頃に親に最初から最後まで歯みがきをしてもらっていた。しかし、幼稚園に入ると少し自立(成長して)最初に自分で歯を磨きその後、親に磨いてもらうようになった。小学生になると、自立して、最初から最後まで自分で磨くようになった。自立したことによって、親の手間も省けたし、将来自分で自分のことをするという能力が一つ身に着いた。そして、自分でもどうやって自立していったのかわからない。自立とは自然に身に着くものだ。親から自分で歯みがきをさせられて、成功すると親からほめられたのが嬉しくて自分で歯みがきをすることが習慣になったのかもしれない。
しかし、相互の助け合いが必要な時もある。例えばサッカーでは自分でドリブルをすると相手は11人いるので、11対1になる。もし全員抜けたとしても、時間がとてもかかりて敵がまた戻ってくる。それに、体力がとても削られて、狙ったところにシュートを打てなかったりする。しかし、味方にパスを出すと、11対11でサッカーをできるし、時間もかからず、体力も減らないので自分に余裕ができる。すると、狙ったところにシュートも打てる。だから、相互の助け合いは、自分が楽になったり、少し余裕が出来たりするので良い。
確かに、個人の自律も相互の助け合いもどちらも大切だ。しかし最も大切なことは「正しい選択をするんじゃなくて、選んだ道を正解にするんだ」という名言があるように、自立してく道を選んでも、人に助けを求める道を選んでも、それを正解につなげることが最も大切だと考える。