人間および動物を通して
   小5 あきらほ(akiraho)  2025年9月3日

 人間と動物を通しての挨拶行動は、未知のもの同士の出会いでは、相手の素姓や気持ちがわからないことからくる不安と警戒の念が、挨拶行動を要求する。誰かと一緒にいるときは、気持ちの変化に気づきやすいが、いったん離れてしまうと二人別々の経験をするため、気持ちのずれや考え方が食い違うことがある。長期間の別れの挨拶は、物的な印により補強されることも多い。互いに分かれていることが、どれほど不安で心配なものかよく理解できると思う。

僕は一年生の終わりに千葉県から山口県に引越しをすることが決まった。最後の登校日にクラスメイトと先生が僕との思いで記したメッセージカードを作って、サプライズでプレゼントをしてくれた。泣いているクラスメイトがいて僕も泣きそうになった。だが、僕が泣くとみんなも暗い気持ちになるのではと思い、涙をぐっと堪えた。もし僕が泣いてしまうと、心の重しの石が砕けて、まるで自分が壊れてしまうような気がしたからだ。メッセージカードには僕との思い出や僕の思い出をみんなが書いてくれてとても嬉しかった。そしてまたみんなといつかまた会いたいという気持ちになった。

僕は朝起きぬけに家族から「おはよう」と言われても「うん」とだけしか言わないが、同じマンションの住人と会った時には爽やかに挨拶をするね、と母に言われた。朝は起きてすぐで眠いので声がでない。家族には挨拶の言葉はでないが視線だけは合わせ、僕なりのコミュニケーションをとっているつもりだ。マンションで会った人に挨拶をするのは正直面倒くさい。だが学校で校長先生に挨拶をするようにいつも言われているし、挨拶をしないと相手を不安にさせたり自分の評判を落としてしまうと思うからだ。信頼関係があるから家族には挨拶しないのだと思った。

この文章を読んで、動物でも人間でも、別れていることが不安だから挨拶をすることが分かった。挨拶をすることは僕にとっては面倒なものだが、簡単に人との友好な関わりを深められる便利な言葉のツールだと思う。何故なら挨拶の言葉がなければ、人とコミュニケ―ションをとるきっかけがつかめないからだ。これからも僕は、人との良好なコミュニケーションを築くためにこれからも挨拶をすることを続けていきたい。