経験してみて
   中3 あおさみ(aosami)  2025年9月2日

トンボ王国は、自然保護の場である以上に、博物館やトンボ池を見て回ることで、トンボやトンボを取り巻く環境に楽しく関わるための知識を身につける場所として、活用すべきだと考える。そしてやはり子供たちには直接的な関わり、トンボ採りも体験させるべきだ。子供たちに、トンボの住める環境がすばらしいものだと感じさせることができたなら、その子供たちが大人になった時、日本中に多くの子供たちがトンボ採りに興じられる水辺が再生されるに違いない。

 何事も身をもって経験し、成長していきたい。



 そのためには自然や人間に接する機会を多くもつことである。私の通う支援センターでは、皆静かに自習している。水を飲んだり咳払いをしたりするのも躊躇してしまう静けさである。通い初めの頃は、私も皆に習い静かに黙々と自習をした。すると段々やる気や情熱がなくなり始めた。おしゃべりの私には誰とも話さず、自分の中に全てを溜め込む状況が苦しかったのだった。人と関わらない、いわゆる閉鎖的、排他的でいると、自分が手にいれる情報が限定的になってしまう。さらにアウトプットがないため、自分の内側に溜まっていくばかりなのである。

その状況を解決するべく、新聞や本に対しての意見や感想、発見や疑問などを先生に話してみることにした。そうすることで思考がクリアに、そして新たな考え方や知識に触れることができた。他者との関わりを待つのではなく、自ら開放的な心を持って関わりに行くことが大切だと思う。滞っている自分の世界が、宇宙の膨張速度に匹敵する勢いで広がっていくはずだ。



 また子どもたちにやたら禁止や注意をするのではなく、責任や配慮を教えることである。

不登校の子どもたちの増加もあり、過ごしやすい学校として校則のない学校が取り上げられる。

ある中高一貫校では、お試しで一定期間校則を廃止することにした。元々の厳しい校則に疑問を呈した生徒が声を上げたおかげだそうだ。学校指定のカバンや靴、制服に髪型。私も校則に関して苦しい思い出がいくつかある。先生に頼まれて他学年の職員室に行ったら大声で怒鳴られたり、一年ぶりに登校したとき先生にズボンの履き方について罵られたりした。何のための校則なのだろうと、帰り道ほおに伝う涙を拭いながら考えた。制服のスカートとズボン共に着心地が悪く、着ていると最悪な気分になる。理由も聞かずに頭ごなしに怒鳴ることは正しいのだろうか。学校にいるといつも自分の意思や選択が尊重されていないように感じる。決められたものを遂行し、自由に表現できない。人は試行錯誤を重ねて成長するのだ。そのため、選択肢や自由を与えることが大切だと思う。自由だからこそ、自分が背負う責任を考えて他者に配慮しながら行動する大切さを学ぶ。前出の一貫校のある生徒は「自己コントロールが芽生えた」と答えていた。実際に自分の意思が尊重され、信頼されていると思うと嬉しく、それに伴った行動をしようと前向きなエネルギーが生まれるのだ。



 確かに、危険もあるため制限も必要である。

 しかし、「トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである」という言葉があるように、経験してこそ、経験することの目的が達成されると思う。トランプも棚の中にしまわれたままでは、トランプの生きる意味を失ってしまう。トランプがトランプとして使われているときこそ、トランプらしいのである。人間も人間らしく、生命体として生き生きとしていたい。そのためには経験することが非常に大事なのだ。

これから私も受験に落ちたり、物事が上達しなかったりすることがあると思う。そその時に、うまくいかない原因を漠然と抱えているといつまで経っても殻を破ることはできない。だから都度内省し、よかった点、よくなかった点、改善すべき点などを明確にして、頭を整理したい。そしてそれを次に生かして殻を突き破ってみたい。