人間及び動物を通じて(感)
小5 あこふゆ(akohuyu)
2025年9月3日
まずこの長文は、未知の者どうしの出会いでは、相手の素性や気持ちが分らぬことからくる不安と警戒の念が、特に挨拶行動を要求するのである。挨拶を行うことによって、何よりもまず、相手に対して敵意、が言いのないことを示し、相手の攻撃本能の発動を抑える。人間の場合、挨拶行為は、相手が以後仲良くともに行動して行ける仲間かどうかの、身元確認にもつながっている。社会生活を営む人間にとって別れて時をすごすということは、私たちが思っている以上に、他者に対する言い知れぬ不安をつのらせるものらしい。いったん離れてしまうと、その間は、二人別々の経験をすることになるため、気持ちのずれや考え方の食い違いが生じてしまう可能性がある。だからこそ再び出会ったとき、両者の気持ちや関係がわかれる前と同じで変わっていないことを確認したいのである。動物の場合も同じで、旅行などで主人が長い間家をあけた帰宅したようなとき、飼い犬が喜びのあまり飛び跳ねて主人を迎えることは、犬を飼ったことのある人ならだれでも知っているとおりである。私たちにとって互いに分かれているということが、どれほど不安で心配なものなのかが、よく理解できると思う。というお話だ。
わたしのお休みの時の挨拶は、
「おやピー。」
だ。これは、祖母が思いついた言葉で、それを、わたしが真似していたら、癖になってしまったのだ。そのときわたしは、挨拶はちゃんとしたほうがいいな。と思った。この、「おやピー。」というのが、まるで、お「おやすみ。」をかわいく略したみたいだ。この、「おやぴー。」を、わたしは弟と一緒にしている。
もしも挨拶がこの世に無かったら、友達関係、家族関係、この世もブチコワレソウダナ。と思った。だからこそ、挨拶は大事なのだな。と思った。
わたしは、動物も人間もみなコミュニケーションをしているということが分った。