知識と情報(清書)

    ()  年月日

 私たちは知識を作り出す方法を身に着けるべきだ。

 第一の方法として、情報を受け取るだけにしないで自分に落とし込むことだ。私は朝のホームルームでニュースを見る時間がある。見たことを要約し、最後にはそのニュースに対する自分の意見をかくというものだ。私はよくYahoo!やラインニュースを見るけれど、自分の意見を考えたことはなかったので意外性のあるものや自分の興味のあるものしか記憶に残っていなかった。しかし自分のあまり興味のない分野のニュースでも意見を考えることで、意外と自分の進路につなげることができたり意見の幅を広げたりできた。このように情報を得たら自分の中で咀嚼するように少し考えてみると自分の思想や意見を織り交ぜたものになり、他人に話すときに受け売りではなく自分の言葉で伝えることができるようになる。単なる事実の理解と、自分の考えを言葉にすることとの間には大きな隔たりがあるのだ。

 第二の方法は、教育現場でもっと生徒が考える場を作ることだ。学校の授業というのは数学では公式を教えたり歴史ではどの年代に何が起きたかといった事実を一方的に伝えるものが多い。最近調べ学習というものがある。調べ学習とは、生徒が与えられたテーマについて情報を整理をし、自身の意見や結論をレポートなどにまとめる学習法である。しかし、私が体験した調べ学習は、最初から教科書やネットを用いて調べるというものであった。もし初めに自分の考えたものを書いておけば自分では気づかなかったものや調べてもあまり出てこないものに気付けたなどの自分の考えに対しての発見もあるだろう。生徒が情報を活用して物事を考える場を総合的な時間だけでなく普段の授業にももっと取り入れていくべきだと考える。例えばこのような調べ学習はどうだろうか。先生がお題を生徒に出し、生徒は自分たちの知っていることだけを使ってそのお題に対する答えを考え、班またはクラスで共有をする。共有をしてから調べ学習を行うことで自分とは違う視点での物事の見方を知ることができ、情報収集の時に自分の意見だけでは見ようと思わなかったサイトも開いてみようという検索の視野を広げることに繋げることができると思う。

 確かに、知識を得るために情報は必要である。しかし、「知識とは学ぶものではなく自分で考えるものである」という名言のように情報からどのように解釈して知識を生み出したのかが大切なのである。情報を自分の知識としてしまうのは、公共物を自分のものと言っているようなものだ。今の時代は知りたいことがあればすぐ調べることができてしまう。調べる前に立ち止まって自分の意見を書き出したり思い浮かべたりするだけで検索結果の見方が変わってくるだろうし記憶にもより残りやすくなるだろう。私は来年大学生になり、文献を読んだりインターネットを使ったりして様々な情報を集める機会が今よりも多くなるだろう。そこで情報として受け取るだけでなく知識につながるようにしていきたい。