あいさつの魔法
   小5 あえたし(aetasi)  2025年9月4日

人間および動物をとおしての広義のあいさつ行動は、個体と個体との出会いだ。また見知らぬ者同士が出会う時だけでなく、知り合い同士でも離別の後で再び出会う場合は、動物・人間を問わずに一般にあいさつ行動が見られる。知らない人同士の出会いでは、あいさつを行うことによって、相手に敵意や害意のないことを示し、相手をなだめ、安心させることができる。人間の場合、あいさつ行為が身元確認につながるため、あいさつが社会で文化的に慣習化されている一定の形式に従って行われる。私たちが別れ際にあいさつする理由は、再び会う時まで、今別れる時と同じ親愛の気持ち、同一の帰属感を相手が抱き続けることを予め確認しておきたいからではないか。私たちにとって互いに別れているということが、とても不安で心配なものなのだ。



この話を読んで一番印象に残ったことは、人間は出会いの時に相手を安心させたり、再開の時はお互いの気持ちや関係が変わっていないことを確かめるためにあいさつをするということだ。また動物は人間と違って、先の予測ができないため別れのあいさつがないということだ。



台湾では食事の前にあいさつをしない。なぜなら、もともとこの文化がないのだからだ。以前近所のレストランに行った時、ぼくは大好物の揚げ出し卵豆腐をたのんだ。外はこんがりで中はぷるんぷるん。箸でつっつくだけで、ダシがじゅわーと出てきて、最高においしい。しかし、家族の中で「いただきます」と言う人は一人もいない。こんなおいしい料理なのに言っていないのは、まずすぎて食べたくないのではないかと思ってしまう。

ぼくは日本では「いただきます」を言うので、言わないのが不自然に感じる。さらに言う前はそんなにおいしくなかった料理でも、「いただきます」を言うと、まるで魔法がかかったようにおいしくなるのだ。あいさつは、人と人との間だけでなく様々なことに作用するのだ。



お母さんが台湾に来たばかりのことだ。お母さんは、突然道ばたの人に「お腹はいっぱいですか」と聞かれた・お母さんは突然知らない人がなぜお腹いっぱいはいっぱいなのかと聞いてくるのかと驚いた。もしかして。単純におなかがいっぱいかと聞いているのか、他の意味があるのかと考えているうちに、その人はいなくなってしまった。



実は台湾で「おなかはいっぱいですか」と聞くのは、本当にお腹がいっぱいかとたずねているのではなく、「元気ですか」という意味なのだ。これは、昔台湾が貧しかった時代に、食べられているかが生活ができているかと同じことなので、あいさつしあうことで、生活の安全を確認していたことからきている。今はお互い確認しあわなくても、きちんと生活できていることは分かるけれど、その習慣は台湾の社会に残ったのだ。ぼくはあいさつは必ずしも言葉通りの意味ではないことが分かった。そして、あいさつからも歴史が見えるかもしれない。



ぼくは、あいさつは不思議な力があると思う。人と人との間以外にも働くし、あいさつの中から国の文化の違いや歴史が分かるのだ。