言葉の壁
小6 ゆき(aonari)
2025年9月4日
旅行者たちをとりかこむ小さな「日本」、あるいは、彼らが持ち歩く「日本」、それを、わたしは「文化的カプセル」と名づける。日本人は、日本文化を微分化した小さなカプセルの中に入って、そこではじめて、安心するのである。人間というものはおしなべて保守的な存在であって、自分にとってなじみのある世界から離れることを非常に嫌う習性がある。アメリカ人だって、フランス人だって、それぞれの文化的カプセルにつつまれて生活するのが快適なのだ。
私は人見知りや場所見知りをしたことがない。むしろ挑戦することが好きである。大学の文化祭に行った時に、カラオケ大会に飛び入りで参加してお母さんにびっくりされたこともある。だが、もし私が外国で生活することになったら話は別だ。言葉が通じないから混乱してしまうと思う。
私のクラスの友達に韓国人がいる。その子は、とても日本になじんでいて、言われるまで外国人だと気づかなかったほどである。
英語を習得するために留学する人がいるらしい。外国の文化に飛び込む人もいるが、なんとなく不安で、日本人学校に行く人もいる。日本人学校とは、日本人ばかりが集まっていて、普段の生活に日本語が使える学校である。普段の生活に日本語を使っていると、留学のハードルが下がるため、帰ってきたときに英語が物になっていないことがあるそうだ。せっかく留学したのにもったいないと思う。
私ならせっかくの外国だからと現地の文化に飛び込んでみる。
お父さんは学生の時カタコトの英語で世界一周をしたそうだ。身振り手振りで気持ちを伝えたらしい。その時エジプトでダイビングの資格も取ったそうだ。外国での言葉の壁はとても厚い。その壁を乗り越えてお互いの気持ちを伝えることができるお父さんはすごいなと思った。
お父さんは気持ちを伝えようという気持ちがあったからカタコトの英語で意思疎通が出来たのだと思う。文化の被膜を破るのは、理解しよう、伝えようとする気持ちだということがわかった。私は、これからも新しいことや興味のあることになどに挑戦し続けようと思った。