日本式会話
   中1 あきたい(akitai)  2025年9月2日

 見、月見、雪見というように、だいたい日本人は「見る」ということに重要な意味を与える。さらに日本の基本は「見る」ことで成立する。つまり、日本では、言葉でなく、物理的対象物をともに見ることで、会話が成り立つのだ。僕は、言葉に頼らない、日本的なコミュニケーションのとりかたはよいと思う。

 第一の理由は、同じ感情を分かち合える連帯感があるからだ。僕の体験は、家族で温泉旅行に行った際、旅館に入った瞬間家族全体がとても良い雰囲気になりリラックスしたことになったからだ。僕たちは、それから温泉旅館を満喫した。なぜなら温泉旅館に入った時の空間の封印機や匂い照明などそこで安心できる日本人らしいものを家族全員が感じ取ったからだ。これは日本人が持っている勘のようなものだと思う。逆に海外だと多種多様な文化を持っている人が集結している国もある。これによってなかなか全員が全員同じ場所で同じことを感じるわけにはいかないのだ。このような理由から僕は、同じ感情を分かち合える連帯感があると思う。

 次に第2の理由は、全員の理由が一致しやすいからだ。学校なのでよく決まりや提出しないといけない意見や集会でする遊びなどなどたくさんクラスや学年、班で話し合いをしないといけない場面があると思う。その際先ほども話したが日本人の勘と言うものがあるので、意見が割れにくいと思うのだ。クラスの意見でなかなかこれは絶対良くないと言う意見が出ないと思う。それは皆同じ考えや感覚があるからだと思う。海外だと色々な場所で育った人がいるのでさまざまな意見が混ざり合って全員が納得することは難しいだろう。確かに日本でも全員が納得する政治をするのは無理が生じる。しかし日本人が求めているものの大半は似ていると思う。これは、日本的なコミュニケーションの取り方だと思う。僕の家族はさまざまな文化の人がいる。特にお父さんの家族は、たくさんの国境を越えた家族なので家族で集結する時には、場所選びに困る。ヨーロッパ、アメリカ日本、中東などさまざまな場所から来るのでちょうどみんなが来やすい場所そして家族が食べれる寝れる環境、訪れやすい環境などさまざまなことを配慮して場所を決める。問題は、これだけではない現地でも課題があり、それぞれ食べたいものや食べれないものがあるので全員で同じものを食べることは厳しいのだ。僕たちは、日本人なので寿司屋お米が食べたいのだがアメリカの人にとって毎日お米になるときついようで中々難しいのだ。一方で母の家族は、みんな日本人なのでご飯に行くとなると日本人なら皆好きな物があるお店にすれば良いだけなので意見がまとまりやすいのだ。

 確かに、言葉ではっきり自分の意見を言うほうが誤解が生じにくい。しかし、「トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである。」という名言があるように言葉に頼らない共通理解をもとにした日本的なコミュニケーションのとりかたはよいと思う。