自然の教え
   中3 かののん(kanonon)  2025年9月3日

 このところ日本では園芸が大はやりであるが、花木や草花の名称が大変な勢いで外来語に置き換えられている。四季咲きといえば誰でもわかるのにセンペルフロレンスとなると、ラテン語の知識のある人なら問題がないが、一般の人、ことに園芸愛好家の高齢の人には、なにやら呪文名て正しく発音することも難しい。新奇さを求める心が一概に悪いとは言えないが、この園芸の分野に見られるような、行きすぎた外来語の流行はやめてほしいと思う。私は自分の足元を見つめ直す生き方をしたい。



 そのための方法は第一に、身近な自然を楽しむ気持ちを持つことだ。自然の中でも私が特に好きなのは虹だ。学校の先生に虹が出ているかもしれないと言われて、放課後友達と走ってグラウンドまで見に行ったこともあり、あの時の感動は忘れられない。しかし、虹以上に心に残っているのは、夏休みのアメリカ旅行でアリゾナ州のセドナに滞在した時に見た星空だ。空がすごく近く感じられ、周りを遮るものがなかったため、一面に広がる星空を見ることができた。眺めているうちに流れ星が二つ流れ、思わず声が出た。一緒に旅行していた祖母は四つも見ていて羨ましく感じたが、両親は一つも見れなかったので見れてよかったと思った。また、旅行先で見た壮大な自然も心に残ったが、身近な自然の中にも楽しみはある。我が家のベランダに鳥が来ると、愛犬のモグが楽しそうに追いかけ、逃げてしまうとしょんぼりした顔をする。そんな姿を見ていると、動物も人も自然の時間を楽しんでいることに気づく。こうした小さな体験を積み重ねることで、私たちは自然をただの背景ではなく、心を豊かにしてくれる存在として捉え直すことができる。身近な自然に心を開く姿勢を持つことは、現代の忙しい生活にこそ必要なのだと感じる。



 第二の方法としては、自国の文化を土台にした教育を重んじることだ。例えば、インドのマハトマ・ガンディーは、若い頃イギリスに留学して西洋の法律を学んだそうだ。しかし、帰国後に貧困や差別に苦しむ人々の姿を見て、西洋の知識だけでは国を救えないと考えたのだろう。そこで彼はインド古来の精神や文化を基盤に、非暴力と不服従を掲げて人々を団結させた結果、インドは独立を勝ち取ることができた。武力ではなく道徳的な力で立ち向かったことが、多くの人々の誇りを呼び覚まし独立へつながったのだと思う。



 確かに、よいものを取り入れ、柔軟に変化していくことは大切だ。外からの刺激を受けなければ、新しい成長は望めない。しかし「木の根を忘れれば、枝も花も育たない。」という言葉が示すように、根本を見失った変化には持続性がない。日本の自然や文化を軽視し、外来のものばかりに目を向けていては、私たちの成長は表面的なものにとどまってしまうだろう。大切なのは、まず自分たちの足元にある自然や文化の豊かさを理解し、それを守り育てながら新しい発展を考えていくことだと私は思う。