ものごとの入口
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情報には二重性がない。第一に情報は知識の素材であり得るけれども、知識そのものではない。第二に、情報は瞬間的であって反復されず、したがって人の内面的世界において蓄積されたり、累積的に進歩したりするということがない。これに対して、知識は反復され、記憶され、蓄積されていくものだ。第三に情報は不確実な事柄の不確実性を減らすために求められるものであり、いわば意思決定をより確実なものとする手段価値によって求められている。他者と知識のストックを共有することは、文化の共有として共通の生活世界を形成するのに役立つ。情報の共有に、そのようなメリットはあるのだろうか。
情報から実行できることを大切にしていくべきだ。
第一の方法は、情報を頭にとどめないことだ。僕の友達に最近、釣りにどはまりした子がいる。今までは全く興味がなかったのだが、ある日その友達ともう一人の釣り好きな友達が一緒に船釣りに行ったのをきっかけに、一気にはまっていった。釣りが好きになってくれたのは良かったのだが、少し困ったことがあった。それは、釣りに関するクイズを出してくることだ。クイズを出してくること自体は別にいいのだが、ネットで調べて分かった釣りに関することの問題を出して、答えられなかったら少しあおってくるのだ。釣りが好きな友達からすると、自分の経験じゃなくネットの情報で調子に乗るな‼と思っているはずだ。実際、実践のときは、あたりまえだが、釣りが元々好きな友達の方が上手くやって、色々釣っていた。情報があったとしても、釣りは理屈で考えないと難しい場合が多い。情報があっても経験にはかなわないのだなと思った。
第二の方法は、自分の知識に自信をもつことだ。ルイ・パスツールという、後にフランスの微生物学者の父と呼ばれるに至った科学者がいた。当時、微生物は自然にわくと考えられていたそうだ。ちなみに僕も小さい頃はそう思っていた。パスツールは,微生物は空気中から入るというのを証明し、生物は生物から生まれる、無からは生まれないという知識を確立させた。当時は病気も悪い空気(瘴気)が原因だとされていたため、病気の原因は微生物と解明したことで、医療、そして食品産業に大きな影響をもたらしたそうだ。
確かに、情報をしっかりと取り入れることは、今の社会において必要だ。しかし、情報とは、ものごとの全てではなく、入り口である。したがって、その情報を自分で考えて知識にし、それをまた実行してこそ意味がある。だから、情報から実行につなげていけることを大切にしていくべきだ。