あいさつが始める人間関係
小5 わかば(akahime)
2025年9月4日
「ヤッホ―。」
私の日常生活の中で、非常によく『あいさつ』は使われる。知り合いに会ったときにも、知らない人に会ったときにも、あいさつはする。たとえ、親友や家族だとしても、挨拶を行う。あいさつは、相手に敬意を払っていることをしめす一種の道具だともいえる。あいさつをしなければ、礼儀がなっていない人と思われてしまう。たとえ、とても仲がいい人だとしても、挨拶をするかしないかだけで、嫌われてしまうこともあるのだ。他人や、長い間あっていなかった人に向けてのあいさつの場合、丁寧に、警戒心を持ちながら話す。相手がどんな人か知っていないのに、うかつになれなれしく話しかけると、相手が怒り、危害を与えてくるかもしれない。だから、相手がどんな人かを見極め、警戒心を落ち着かせるのだ。前とても仲良かった子と再開したときでも同じような挨拶が行われる。長い時間が経ってからの再開は、お互いとても緊張する。その例として、私が毎年行っているスキーキャンプなどがあげられる。スキーキャンプ中に同じ生活班の子と、とても親しくなり、来年もスキーキャンプに行って会おうという話になる。そして、その次の年、その子とまたキャンプで出会う。すぐに気が付き、話しかけるが、最初は会話のキャッチボールが長続きしない。でも、だんだん話していると盛り上がってきて、また元の関係に戻る。初め静かだった理由は、相手がまだ同じ性格でいて、仲良くできるか不安だったことだ。お互いに探りあっていると沈黙が続いてしまう。そして、その審査にお互いが通過すれば、また仲良くすることができる。仲良くなるには最初の挨拶が肝心で、それに失敗するとなかなかチャンスはめぐってこない。気が合わない人、と相手に印象付けられてしまうからだ。でも、逆に言えば、嘘の言葉であいさつして、気が合えば仲良くなれてしまうともいえる。学校で、生徒が先生を嫌っていても、愛想よく話しかけるのと同じだ。なぜそんなことをするのかというと、いうまでもない。先生に嫌われてもいいことがないからだ。授業中に手をあげても当たる確率は低くなる。それに、怒られたりする可能性が上がる。それをみんな警戒して、挨拶をするのだ。本当の気持ちを隠してしまうことができる挨拶は、まるでお面のようだと思った。
父の、あいさつ審査の仕方を聞いてみた。すると、あいさつして盛り上がったり、片方が質問するだけでなく、同じ量をお互いに話すことができれば仲良くなれると話してくれた。それを聞いて、まず父もあいさつで相手を試していたことにびっくりした。もしかしたら、日本という国境を越えたどこの国でも、皆あいさつから仲良くなるきっかけを作るのかもしれない。そうだとしたら、あいさつはとても大切なものだと思う。もしそんなあいさつがなくなってしまったら、世間はどうなってしまうのだろう。みんなに友達がいなくて、つまらなくなるだろう。そうしたら、学校だって中休みに遊ぶこともなくなって、ただの勉強する場所になってしまう。そのせいで、子供たちの学習意欲が下がり、まじめに勉強する子供がいなくなる。そして、十年後二十年後に大人になったとき、世界は頭の悪い大人だらけになって大変になってしまうだろう。あいさつがないと人と人との触れ合いがなくなってしまうのだ。
あいさつの必要性を考えることで、人間はあいさつでつながっていることが分かった。
「バイバイ。」