できることを見つける
   中1 みお(aemio)  2025年9月3日

 人は自分とは異質なもの、それにちょっとでも接触することをすごく怖がり、何の根拠もないのに自分は「~ではない」と規定することで同一性を自分で確保しようとする。しかし、人は一人では自分の存在は確認できず、「他者の他者」という、自分の行動が他者に及ぼす「効果」によって、自分を経験できるのだ。気をつけねばならないのは他者との交流で「~してあげる」という意識が芽生え、他者との関係を待たなくても「わたし」でありうるという錯覚にとらわれてしまい、他者が自分から遠のいてしまうことだ。そして人は自分の境界の最後のバリヤーとして異物との接触を回避しようとするのだ。私はネガティブに自分を規定するよりも他人との関わりの中で自分の存在を実感すべきだと考える。その理由は二つある。

 第一の理由として、ポジティブに規定することで自分の可能性を広げることができるからだ。私は学校の授業の数学が難しく、「数学ができない子」だとおもっていた。しかし英語は少しできるから頑張ろうと前向きに取り組んでいた。私は英語のように数学も「できない」と思ってばかりだとなにも進まないから「ここはできる」というようにできることを見つけていくようにした。するとできないと思っていたこともできることと結び付けたらできるようになったり、復習のためにノートや板書の写真を見返す機会が増えたりした。それによって頭の中が整理され新たな疑問や質問を先生に聞きにいって理解することができ、できないと思い込んでいたのが間違いだったことに気が付いた。だから最初からできないという決めつけをするのではなくポジティブに考えて「できる」ところを見つけ、自分が「できる」可能性を広げていこうと思う。私の学校の校長先生は、「才能という言葉は一般には生まれつきもっている能力と理解されることが多いが、先生たちの間では勉強や努力の積み重ねによって現れる優れた特性または能力という意味で使っている。「私には~の才能がない」、「この教科は捨てた」そういう声もたまに聞くが、まだ13、14、15才とかで、これから様々な新しい経験を積んでいくのだからあきらめるのはもったいない、できることを自信に持つのが大切ですね」とおっしゃった。私はこのように、一回あきらめてしまったらもう戻れないから、自分の「本当はできるはずのこと」をつぶさないように、できる、という面で考えていきたいと思う。

 第二の理由として、新しい関係が生まれ、またコミュニケーションとなるからだ。私が中学校に入学したとき、はじめて会った子に得意なものやできることについてはなすときがあった。そこで、縄跳びが得意だと話したら相手が「すごい、いいね!」と返してくれて、この子は自分を認めてくれたと思いうれしい気持ちになった。また、そこから話が広がっていき、友達になることができた。私は他人との関わりのうえで自分の存在を確認することによって互いに認め合い、新たな関係が生まれることはとても大切なことなのだなと感じた。

 確かに先生の前だけで掃除をするような、他人に認められるためだけを目的として行動するのは良くない。しかし、他人に認められてそれが自信につながるのならよいことであり、さらに自分が他人からこう思われているのだなとわかると今までの過ごし方の中から「次はこうすべき」や「このまま続けていくべき」などという点が出てきて、これからの生活をより良いものにすることができると思う。また、「短所をなくす一番よい方法は今ある長所をのばすことである」という名言がある。この名言のように、短所を気にすることに時間を使うのではなく、小さくてもよいから自分のできることや長所を見つけてそれを自信に持つことが大切だと考える。