言葉に頼らない

   中1 あおなち(aonati)  2025年9月4日

 自然の有為転変をながめては、人の生命のはかなさだけでなく、社会もつねに移り変わってゆくのだという気持ちが、日本人の心のどこかに絶えず潜んでいる。日本人は「見る」ということに重要な意味を与える。日本人の社交の基本は「見る」ことで成立する。「いいお月さんですね」二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。日本では、言葉でなく、物理対象物をともに見ることで、社交が成り立つのだ。おしゃべり一本だと、話題が途切れたときに、白々しい感じが残る。共通の「見る」対象物を一つ置いておけばそうゆう緊張感は、なくなる。花見が最も庶民的なマス・レジャーであるのも故なしとしない。言葉に頼らない、日本的なコミュニケーションのとりかたはよい。

 理由一つ目は、同じことを経験して、同じことを理解しあえるからだ。サッカー合宿中のお風呂の時、チームみんなで一斉に入った。

「ドッボーーーン」

と、音を立てて入り、すぐさまお風呂だとも考えずにお湯をかけ合う。そして、シャワーで体を洗っている人は、シャワーのお湯を冷たい水にしてお風呂に入っている人たちにかける。お風呂に入っている人たちは、冷たい水を避けるためお湯に潜る。騒いでいるのが聞こえてコーチが入ってきた。全員固まった。チームの誰もが

「ヤバい、終わった」

と思った。しかし、コーチは静かにシャワーの方へ向かいシャワーを両手に持ちニヤリとした。チームのみんなが唾を飲む。その時、コーチは急に冷たい水を大爆笑しながらチームのみんなにかけた。

「うわーー」

と声を上げ、みんなでコーチにお湯をかけた。コーチはすぐに逃げてしまい。結局、怒られずにお風呂タイムは終わった。サッカーで疲れた体はもっと疲れた体になってしまったが、みんなで経験したこと、みんなで理解してコーチに水をかけたこと。これらは、一生忘れることのできない思い出になっていることだろう。こんなたわいもないことでもコミュニケーションはできてしまうのだ。

 理由二つ目は、お互いに相手を信頼して思いやって、優しい関係ができるからだ。6年生最後のサッカー大会。決勝戦まできた僕たちは、みんなで顔を見合い肩を組んだ。その思いはみんな共通していた。「絶対に勝ってやる」そんな思いを決勝戦にぶつけた。前半、二対ゼロ。後半二対一。試合終了。初めてのうれし泣きだった。初めてみんなで泣いた。

「これまで四点以上とられて負けてきた俺らが勝ったんだ」

そんな気持ちが爆発して何回もうれし泣きをしてしまった。中学になったらみんな違うところへ行ってしまうが今回の大会で気持ちが一つになり最後の最後でいい経験をすることができた。

 確かに、意見を述べた方が相手に誤解がなく伝わるかもしれない。しかし「言葉が人間に与えられたのは考えていることを隠すためである」という名言があるように、言葉には多くの嘘が含まれる。目は嘘をつかない。だから、同じ物を見て感じて相手の目を見るだけで良いコミュニケーションをとれるのだ。言葉に頼らない、日本的なコミュニケーションのとりかたはよいと考える。