清書
中1 あかりん(akarin)
2025年9月4日
人間は食物や住居の確保と引き換えに自由を失う点で、家畜と同じように自己家畜化を進めている。社会制度や職業の枠に組み込まれ、効率や順序を得ているが、個性などを犠牲にしている。こうした自己家畜化は単なる比喩でなく、現代人の精神や行動に実際的な影響をもたらし、どの年齢まで共通して見られる現象だ。動物が飼育により身体や習性を変えるように、人間もまた環境への適応をとおして変化し続けていて、その成果と限界の両面が現代社会に表れている。私はある程度の自己家畜化は必要だと思う。そう思う理由は2つある。
第1の理由は、みんなが好き勝手に行動すると争うことが増えるためだ。ある程度の自己家畜化がなければ安全な暮らしはできない。例えば、空き巣や窃盗は法律で罰せられる。もしこの法律がなければ今よりもより多く犯罪が起こると思う。このようにみんなの安全を守るための自己家畜は必要だ。ほかにも交通ルールなどの例がある。信号がなければみんなが自分の好き勝手に道を渡って、車に轢かれたり事故が多発したりすると思う。今すでに法律や交通ルールなどはあるが、それでも空き巣や窃盗、信号無視などを100%防げてはいない。もし今の状態で法律を全て破棄してしまうと皆、好き勝手に行動し始めて安全でないばかりか争いなどがあちこちで起こるだろう。
第2の理由は自己家畜化することで成長のきっかけになることもあるからだ。決められた枠の中で努力することで、我慢や協力する力が身につくと思う。例えば、グループプロジェクトなどではグループの中で他人の意見を聞いて、協力し合ったり時には自分の意見が通らなくて我慢をしなくてはいけない時もあるだろう。私にもこのような経験がある。例えば4人のグループで、5分以上のプレゼンテーションを作らなければ行けない時があった。準備の間で意見のすれ違いや、デザインをシンプルにするかおしゃれにするかなどでぶつかり合いがあった。でも、多少の我慢は自分の成長にはとても大事だと思う。
確かに人間には自由も大切だ。自由がないと人間らしい生活ができなくなったり、自分の意見は尊重されないため自己肯定感の低下や自分で考えることを諦めたりしてしまうかもしれない。しかし、「規律なき自由は混乱を生む」と言う名言があるように、自己家畜化をすることで混乱を防ぐこともできるのだ。だから、私はある程度の自己家畜は大切だとおもう。これからはもっと周りの人と協力しながら自己規制を意識していきたい。