桃源暗鬼
中2 すみひな(sumihina)
2025年10月1日
私は先日、体育の授業でバレーの試合をしたのだが7対3で圧勝してしまった。チームの構成が悪かったのかはわからないが、相手チームの中に負けず嫌いな子がいて、泣き出してしまったのだ。私は「勝つこと」と「楽しむこと」はセットになると思っている。勝っても負けても、楽しめなければ意味がないと考えるのは私だけだろうか。私の友達が教えてくれた「桃源暗鬼」という漫画がある。この作品には、ただ相手を倒すことだけを目的にする桃の血を持つ者と、仲間とともに困難を乗り越え、価値を見いだしていく鬼の血を持つ主人公の両方が登場する自分の日常に置き換えて考えてみると、ゲームの試合などで勝ちたいという思いが強いと、問題を解く楽しさが薄れてしまうことがある。「桃源暗鬼」はフィクションだが、そこに描かれた人間心理は、私たちの生活に強く結びついていると思う。
勝負事において、楽しむことは非常に大切である。なぜなら、楽しむ姿勢がなければ、努力そのものが苦痛に変わってしまうからだ。部活動の練習や勉強は決して楽なものではないが、仲間と笑い、課題を解いていく過程を楽しめるからこそ続けられる。また、「楽しむこと」を大切にすると、相手の良いプレーや工夫を素直に認められるようになる。だが、勝ち負けにこだわりすぎると、勝つ=相手の負け、負け=相手の勝ちという構図を強く意識してしまい、悪い場合は、相手のミスを「自分にとって有利だから嬉しい」と考えてしまうこともある。こうした心理は本来の「楽しむ」という目的から遠ざかってしまうと思う。
とはいえ、「勝ち負け」を軽視してよいというわけではない。勝敗があるからこそ、努力の成果が明確になり、真剣に挑む意味が生まれるからだ。オリンピックのような国際大会を考えてみたい。そこでは世界中の選手が国を代表して全力を尽くす。東京2020大会では、参加した約11,000人の選手のうち、メダルを獲得できたのはわずか約1割にすぎなかった。つまり大多数は「勝ちきれない」結果に終わったわけだが、それでも世界中の人々は彼らの戦いに感動した。勝敗は厳しく、メダルを獲得できるのはごく一部の選手にすぎない。しかし、勝敗があるからこそ、私たちは感動を覚えられるのだ。
確かに、試合を楽しむという見方もよい。勝ち負けを重んじる見方もよい。だが本当に大切なのは、全力を尽くすという実行である。私は10月の末に定期テストがあるのだが、勉強する際に全力を尽くせられるように努力してきたい。楽しさだけを求めれば努力は甘くなり、勉強だけをしていてはストレスが溜まっていくことだろう。最後まであきらめず、次の定期テストも頑張りたい。そのために私は、日常の小さな場面でも「どうせやるなら全力で」という意識を持ちたいと思う。業での発表でも、部活の練習でも、手を抜かず全力を尽くすことが、楽しむことと勝ち負けの両立につながると私は思う。そして、どんな結果になっても、自分が全力を尽くしたという事実こそが、最も価値のある経験になるのだ。