スポーツが持つ力
   中2 あかるら(akarura)  2025年10月1日

 スポーツは約三万年前に始まって以来、競技としてまた娯楽として多くの人に親しまれている。その長い歴史を経てスポーツに対する向き合い方、楽しみ方も多様化してきた。今では自分が行うだけでなく、スポーツを「観戦」する、ボランティアとして「支える」そして歴史やルールを「知る」こともできる。世代や国境、価値観の違いが明らかになる中で、誰にでも開かれたものであるスポーツは人々の間の架け橋になると言えるだろう。



 スポーツにおいて勝つことは大切だ。なぜなら勝ち負けを意識することでより競技が白熱するからだ。私の学校では毎年中学一年生と二年生を対象にマラソン大会を開催している。上位十人に入ると小さな賞状がもらえるが、入学した当初の私達にはこのことについて何一つ伝えられていなかった。その結果、このマラソンを記録会と考え真剣に走らなかった生徒も多く、終わった後に「自分はもっと速く走れた」と悔しそうな表情を浮かべていた友人が今でも印象に残っている。仮に事前に賞状について伝えられていたならば参加者全員の気持ちがより一層引き締まり、大会として盛り上がっただろう。これは有名な昔話「うさぎとカメ」でも同じだ。この昔話の大きな教訓は「努力の大切さ」であるがその努力をカメが継続させ、ついにうさぎに勝利することができたのは、勝ち負けのある「競走」をしたからだと言える。確かに勝ち負けの結果が相手への侮辱の原因となることはスポーツの本当の役割を果たせていない行為である。しかし勝ち負けがある、つまり他人と比べて有利になることのできるスポーツは誰にとっても魅力的なもので在り続けるのだろう。



 一方、協調性を育む上でスポーツを楽しむことも大切だ。その一例としてチームスポーツが挙げられる。中学一年生の頃、クラス全員で大繩に挑戦する機会があった。その前までは入学したばかりということも影響し、それぞれが小さなグループの一人として行動しクラスの皆が関わり合うことは少なかった。今振り返ってみると、当時の私達には仲間といる安心感が共有されていたのだと思う。しかし、大繩を機に雰囲気が変化した。大縄は個人の競技ではないためタイミングを図る声掛けや周りが失敗した際の助け合いが不可欠なスポーツだと言える。この授業を通して大縄を回す人も跳ぶ人達も、協力を通して協調性が生まれたと思う。練習後、初めてスムーズに跳べるようになったときは、今までバラバラだったクラスが一つになった瞬間だった。またスポーツを楽しむことの良さとして勝ち負けによるプレッシャーも考えられる。オリンピックで前回大会に続く金メダルが期待されていた阿部兄弟は多くの期待を集めていた。最後まで手に汗を握る試合だったが詩選手が破れてしまったことに期待を裏切られたと連日批判が殺到し、選手自身も負けによるショックだけでなく誹謗中傷にも苦しむ結果になってしまった。元は楽しさから始まったスポーツへの参加が勝利にのみに囚われてしまうことはもったいない。スポーツは勝ち負けに関わらず皆が楽しめる場となる必要がある。



 このようにスポーツの勝ち負けには良い面も悪い面もあるが、最も大切なことはスポーツが相手を認め合う一歩になることだ。「世界で最高の選手を集めても、手を取り合ってプレーしなければ無価値なんだ。」という言葉がある。オリンピックは「平和の祭典」として国境や文化を越えて皆がたたえ合うことを目的に作られたイベントである。このように勝ったとしても負けたとしても相手を受け入れることを身近にできるのがスポーツの本来持つ力である。私もスポーツ観戦によってより多くの国や人々に対して理解を深めていきたい。