名前とともに歩む人生
小6 あえさた(aesata)
2025年10月1日
僕にとって名前は、単なる呼び名ではなく、人生と共に歩んできたもう一つの「顔」のようなものだ。人は誰でも生まれた瞬間に名前を与えられ、それを手がかりに周囲と関わりを持ち始める。だからこそ、自分の名前をどう受け止めるかは、自分自身をどう理解し、どのように生きるかを考えることにつながっている。人はみんな名前を持っている。僕もまた、両親から願いを込めてもらった名前を持っている。毎日の生活の中であたりまえに呼ばれているけれど、よく考えると名前はとても大切なものだと思う。そこで、僕にとって名前とは何なのかを改めて考えてみたい。
まず、名前には家族の願いや思いが込められている。僕の名前も両親が「こう育ってほしい」という希望をもとに選んでくれた。たとえば、僕の名前の中には「昂」という字が入っている。これは、太陽のように高く明るくなってほしいという思いが込められているのだ。名前に使われている漢字には意味があり、響きにも両親の気持ちが反映されている。両親が大切にしてきた価値観や、望んでいる人格のイメージが、その字や音に込められているのだ。名前は、血のつながりだけでなく、家族の思いを象徴するものでもある。そして、僕自身がその名前を意識するたびに、両親が僕の幸せを願ってくれた気持ちを思い出すことができる。名前は、人生の最初の贈り物であり、僕の心の支えのひとつでもある。
次に、名前は社会での自分を表すしるしでもある。学校や地域、友達の間で名前を呼ばれるとき、僕はその一言で周囲に存在を認識される。もし名前がなければ、個人として区別されることはできず、社会で役割を果たすことさえ難しいだろう。名前は単なるラベルではなく、社会生活を送る上で必要な「入り口」であり、人と人をつなぐ最初の道具でもある。たとえば、友達や先生が僕の名前を呼ぶとき、その響きの中に親しみや信頼の感情がこもっていることもある。名前は、他者との関係を築くときに不可欠な手がかりであり、僕が社会の一員であることを確認するものでもある。
さらに、名前は自分をふりかえるきっかけともなる。小さい頃は意味を意識せずに呼ばれるまま受け入れていたが、大きくなるにつれて名前に込められた願いを意識するようになった。たとえば「強さ」や「優しさ」を表す字が含まれていると、自分は果たしてその理想にふさわしい人間になれているだろうか、と考えることがある。名前は、自分がどのように生きたいかを問いかける存在でもある。確かに自分の名前を好きになれない人もいるだろう。字の形や響きが気に入らないこともあるかもしれない。しかし、それでも名前を通して多くの出会いや経験をしてきたことに変わりはないのだ。つまり名前をどう受け止めるかは、自分の心しだいであり、それによって人生の歩き方も少しずつ変わってくるのだ。
人間にとって名前とは「家族の思い」と「自分の証明」と「自分への問いかけ」という三つの役割があり、パートナーのようなものなのだ。そしてそれは、その人がこれからどんな人生を歩むかを考える上での道しるべにもなる。「名は体を表す」ということわざがあるように、名前は僕の人生に大きな影響を与えてくれる存在なのだ。僕はこれからも、自分の名前をただの呼び名としてではなく、成長していく大切なパートナーとして共に歩んでいきたい。