大きな価値
高3 あかしか(akasika)
2025年10月2日
近代社会は前近代の安定したピラミッド型の社会構造を破壊し、流動状態を持ち込んだ。だが枠組自体は放棄していなくて物語の秩序によって配列し、人生の意味づけもこの物語から受け取っていた。現在、物語の信頼は無くなってきている。異なった文化を均質化し、効率を重視したからだろう。従来の階層的な価値秩序は「建前」として残っている。これはそれら自身の価値は信じていないが、信じているように振る舞っていることを示す。自己の位置を決めるものが他者になったが、他者と同質では差異が生まれない。そこで「個性」という限定された価値領域に自分を繋ぎ止めようとするカルト化が出てくる。誰もが支持する大きな価値がないことが問題である。
大きな価値がないことの原因としては第一に、日本が豊かになったからである。近代以前は自分の国を強くするために支配する地域を広げる渇望感によって国民が一致団結していた。領土を広げるために戦いにいく騎士の階級は高くなり、国はどうしたらもっと力をつけることができるかを考え、国民もサポートするために頑張るので他のことに目を向ける余裕がなかった。近代になるとある程度それぞれの国の強さが決まり、国を挙げて戦うことが減り、多くの国民がたくさんのことに興味を持てるようになった。国民が団結してあるものを獲得するということがなくなったので大きな価値は無くなったのだろう。
また、第二の原因としては、多様性を認め過ぎていることだ。日本は豊かになったからこそ様々な分野に手を出せるようになった。そこで、「みんながそれぞれでいい」という考えが広がりすぎて反対意見も認めなくてはいけないような雰囲気がある。何か新しいことを始めようとしても、「それに反対する人もいるから」と議論が止まり、結局何も進まないことが多い。たとえば自然科学の分野では、動物実験やクローン技術などの研究がその典型だ。動物保護の観点からは命の扱いを大事にという意見が出て、科学技術の面では進歩するしより多くの人間を救えるようになり社会が発展するという意見が出るだろう。こうなるとどちらの価値も尊重しようとするあまり、研究を進めること自体が難しくなる。多様性を認めすぎるが故に何も進まなくなることも出てきてしまう。
確かに、戦争のように一つの大きな価値が悪い方向に入ってしまう時もある。しかし、「一つの目標とは、最短距離で結果を出すことではなく、社会を前進させる意味ある方向性である。」というように、一見悪い方向を向いているように見えても最終的には平和主義という良い方に向かうのである。多様性を認め、それぞれの世界があるのもいいが、日本をさらに発展させるために何か大きな価値があってもいいのではないだろうか。