本当の勝負とは
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年月日
人々が日々抱える多大な量のストレスを解消できる娯楽の一つに「スポーツ」がある。ライバルに勝つためにもくもくと集中してさらなる高みを目指すのを楽しいとする人もいれば、家族や知り合いとの交流の場として楽しむ人もいる。私は中学生になり、テニス部に入る前からテニスをしていた。私はスポーツの、日を追うごとにこの前自分ができなかった、技や苦手な攻撃ができるように、拾えるようになる毎日同じ私にならないところが楽しいと思っている。一方このプレーする楽しみとは反対に「観る」スポーツも面白い、楽しいとも感じる人も多くいる。4年に一回しか開催されないオリンピックは誰もが手に汗握り、応援する選手の晴れ舞台を望むだろう。私のお父さんは、実際にプレーすることはできないが、サッカーがとても好きでサッカーカタールワールドカップでは夜遅くまで起きて青いユニフォームを着た日本代表を応援し続けていた。私とお父さんのスポーツの楽しみ方以外にもスポーツには様々な楽しみ方が存在する。そのたくさんのレパートリーの多さこそが、スポーツが3万年前から現代まで様々な人に親しまれてきた理由だろう。
スポーツにおいて勝敗を決めるのはよいことである。なぜなら、人は目指すべき目標があることで、より熱心にスポーツに取り組むことができるからだ。私は、練習より本番のほうがより強い自分を発揮できるタイプであり、「負ける」ということの怖さから普段と比べ、より堅実に、より慎重に行動するからだろう。ここまでは絶対行きたいという思いがあるからその目標に向かうために、どうやったら相手からポイントがとれるか、相手は何をされたら状況が厳しくなるか、どうやったら相手に勝てるのかその場その場で考えて動く、改めて考えても何とも面白いスポーツだ。また、白黒はっきりさせるという点でも勝敗は重要な役割を担っていると思う。勝ったか負けたかでいざこざが発生するのを防いだり、相手との違いをきちんと知ることができるからだ。確かに、負けた時は悲しいし、できれば悔しい思いをしたくないので、勝負事から逃げたい気持ちも十分にわかる。しかしその負けるという怖さがあったからこそ自分の中の最大のパフォーマンスを引き出せたり、もっと強くなるための近道になったりするのだ。
スポーツで勝敗をあえて決めないことも大切だ。勝負をしたら、絶対に勝つ人負ける人が出てくるので、勝負が終わった後すべての人の気分が晴れているかと聞かれたらほぼ100パーセントの確率でNOだろう。そのため、ことを穏便に済ませたいときや、相手とただ遊ぶという目的でスポーツを楽しむときは、勝敗のないものを選ぶだろう。かぐや姫という昔話は、おじいさんが山で竹を取っていたらその中に光るものを見つけ、それを切ってみると中にはとてもかわいらしく小さい女の子が入っておじいさんとおばあさんがその子をかぐや姫となずけ、大人になるまで育てたという話だ。結果的にかぐや姫は月の住人で、月から迎えがきて泣く泣くおじいさんとおばあさんの元を離れることになってしまった。実の子同然として育てていた子が急に月に帰りたいといってきたら、困惑するだろうし帰ってほしくないだろう。そのために月と全面戦争を仕掛けたとしても何らおかしいことではない。でもおじいさんたちがそれをしなかったのは、かぐや姫の立場を考えたからだろう。おじいさんたちと月の国のどちらが勝ってもかぐや姫にいい未来は訪れない。どちらかのことを一生心に残して生きていかねばならないからだ。そのため、おじいさんたちはかぐや姫のことを本当に大切に思っているからこそ勝ち負けをつけず送り出すことを決めたのだ。このように勝ち負けをつけないことでその人が健やかに過ごせる未来を創ることができるのだ。
確かに、スポーツの勝敗を決めるのもあえて決めない選択をとるのも素晴らしいが「真勝負は真剣な稽古からしか生まれない。」という名言がある通り、本当に大切なのは、勝負の勝ち負けではなくその人が目標に向かってどれだけ頑張ったかである。