礎
高1 あおそふ(aosohu)
2025年9月2日
子供というのは、なんでも大人の真似をしたがる。なんでもできると確信しているのか、なんでもやろうとする。見ているほうは、危なっかしく、ヒヤヒヤするものだ。万が一大きな怪我をしないためにも、親は子供もがやろうとすることに愛をもって制限してしまう。
子供のころから、主体的な言動に対して後押しするような育て方をするべきだ。
そのための第一の方法は、ささいな成果であっても、ほめることだ。
毎週土曜日に某テレビ局が放送している「笑ってこらえて」という番組をご存じだろうか。その番組内の企画のひとつに「吹奏楽部の旅」というのがある。この企画は、毎年一年間を通して二、三の高校の吹奏楽部を潜入して取材するといった内容である。夏のコンクールに向けて部員一人一人が熱くなって練習しているすがたは老若男女問わず心が打たれる。そんな感動的なシーンが映し出されるなか、シビアなシーンも映し出される。シビアなシーンというのは指揮者の厳しすぎる指導だ。その指導にピリつく部員の姿に共感できるものがある。なぜならば私自身、中学生のとき吹奏楽部に所属していたため指導者の厳しい言葉を浴びてきたからだ。吹奏楽というのは、人数が多いため一人一人をほめることが難しい。そのため、パート内で競争心を燃やさせることによって楽器の技術力をあげようとするのだ。私は、部活だけでなく楽器の個人レッスンをうけにいっていた。レッスンの先生は、毎回いくたちょっとした変化に気づいてくれ、また褒めてくれる。部活では、褒められるということがなかったため初めて楽器を吹くことに自信をもてた。頑張っていることに対して褒められるということは、さらに頑張る原動力になっているとおもう。だからささいな成果に褒めることが必要なのだ。
第二の方法は、子供に思想をおしつけないことだ。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、欧米列強が帝国主義という領土や植民地の拡大を求めて海外に進出する動きがみられた。そのことにより国家間で宗主国と植民地という上下関係がうまれた。植民地支配される側の国は劣悪な環境で宗
主国のために働き続けなくてはならない。そうなると、次第に宗主国にたしての反発意識が芽生えてきくる。反発を制御するためにも植民地における教育制度が重要であった。他にも、一九二〇〜一九五〇年代の共産主義国家ソ連にも似たようなことがあった。ソ連の指導者であるスターリンは国家をつよく統一しようとした。その一つの手段としてつかわれたのは教育であり、第一の目的は「国家への忠誠心を育てること」であった。そのため教育内容も、「マルクス主義」「レーニン主義」を“唯一の正しい思想”として教え、 政府や共産党を批判する考え方は禁止、子どもには「国家のために尽くす立派な労働者・兵士」になることを求めるなどであった。これは教育ではなく、子供が国家に従わせるための思想強要であったと思う。教養を身に着けたり、自分の頭で考える力を育てることが元来の教育の姿である。
確かに、ときには上手くいかなかったり、他の人よりもできないことを知ることは大切である。それを知れたことによりやる気を引き出す原動力になりえる。しかし、他人と比較するということが多くなると人との比較でしか自信を保てなくなってしまう。人間はどうしても他人と比較すると自己肯定感が低くなってしまう。私はこの考えに納得できないのだ。自己は肯定されるべきであって、それが前提としたうえで不安や期待、得意、不得意がミルフィーユ状に重なっていると思う。そのミルフィーユの状況によって気分が浮き沈みしてしまうのだ。子供に、自己肯定という礎を築くことが教育によって大切である。