子どものころ、わたしは
   小5 あさやそ(asayaso)  2025年10月2日



忘れてはならない大事な用事を忘れた時など、「忘れました。」は、言いにくい言葉になって、なぜ忘れたかという言い訳の方が、それよりも先に口をついて出てくる。しかし、そういう言い訳は、実際には責任転嫁に聞こえるだけで、なんの効き目もない。言いにくさを押し切っていう声や姿こそ、お詫びの真実が現れて、相手の心を動かすのである。





物事を忘れた時の例は二つある。一つ目は、僕の話だ。場面は五年生の時で、学校の漢字宿題を忘れてしまった場面だ。たったの1ページしかないのだが、2回忘れたことがあり、一回目は「家に置き忘れてしまいました」と言い訳をしたら先生に激怒されてしまった。その様子を表現すると、まるで雷が落ちた時の音のようだった。二回目は、先生に素直に「宿題を忘れてしまいました、すみません」と言ったら先生は、「明日必ず宿題を持ってくるように」と言って、注意で済んだのだ。この時の僕の気持ちは、忘れたことを言いにくいなぁという気持ちを押し切って素直に謝ったら、スッキリした気持ちになった。これ以降二学期からは、クラスで先生に先に進めることを許可してもらい、少し先に進めるようになった。そうすれば、提出を忘れても先生にすでに見てもらっているところであれば忘れの対象にならないようになった。





二つ目は、父の話だ。どのような話かというと、まだ父が若い頃に、仕事の提出期限に間に合わなくて、上司に他の仕事が忙しくてできなかったという言い訳をしたら怒られてしまったらしい。その時の上司の怒り方は先ほど紹介したような怒り方だったのだろう。同じようなことはもう一回あったけれど、その時も期限に間に合わなかったが、まず素直に謝罪をした上で、丁寧に理由を説明したら、許してくれてもう一日くれたそうだ。父が思ったのは、言い訳ではなく、心から素直に、「実るほど頭を垂れる稲穂」みたいに謝罪することが大切だと思ったそうだ。





最後に、僕が思ったことを述べよう。何か物事を忘れた時に、言い訳をしたら、相手を嫌な気持ちにさせてしまい、信用を失ってしまうことがある。逆に、素直に「実るほど頭を垂れる稲穂」みたいに謝罪をすれば許してもらえることもあるということがわかった。今後は、言い訳をせず、素直に謝ろうと思う。その上で、行動を変えていくことが大切なことだと思う。