「子供の世界は」感想文
中1 あさくに(asakuni)
2025年10月2日
「子供の世界は」は、僕が長年考えなかった物をを思い出させてくれた。この作文の主な内容としては、子供は純粋で好奇心の塊なので何でも目にするものは親に「なんで」と聞くという。そして、たとえ親が正しい答えを応答しても、子供は納得せずに自ら自論を作って一人気に納得する。これを可能にするのは常識にとらわれない子供の縦横無尽の発想力だという。その作文でも紹介された夕焼けの例を見てみよう。父親は科学的になぜ夕焼けは赤いのか説明したが、子供はもちろん理解できなかった。だが、母親が太陽がただ照れているのだと話したらすぐ理解できていた。このように、良い意味で「何も知らない」子供たちにしかできない思考回路があると書かれていた。
僕は不思議に思う事は大切でとても良いことだと思う。最初の理由として、常識にあまり捉われないという点だ。わかりやすく理解してもらうためには、社会の常識や当たり前のことを「服」として考えてみてはどうだ。学校で守る校則は学生服、レストランなどの外食の時のマナーはちょっとおしゃれな服など色々な例が挙げられる。ただ「子供の世界は」の作文のように、子供のような純粋で社会の常識という名の鎖から放たれた発想をしてみてはどうだ。このような踏み込んだ行動を僕は「常識の服を脱ぐ」と呼んでいる。なのでいわゆる何ルールも「着ていない」全裸の発想が柔軟で新発見を及ぼしてくれると僕は信じる。何の常識にも制御されない真新しく、新鮮なものがそうやって生まれてくるのだろう。典型的な例は小説家だ。そのような職についている人々は、常識という名の鳥かごから解放された鳩のように、奇想天外な物の数々を世に送りだしていくのだ。
二つ目に、「不思議」と思う好奇心は成長することに重要な動力源だという事。歴史的に見ても人間は「なんでだろう」、「おかしいなー」っと思うと没頭してそれの理由を解明しようとしてきたのだと思う。そうしてきた人々がいるからこそ、今の人間の知的範囲がこんなに拡大した主な理由なのだろう。そのような人々の最適で最新の例が先週発表されたノーベル化学賞受賞を受賞した北川先生なのであろう。北川先生は化学に魅了され、どんどんのめり込んだからこそ、世界的にも名誉なノーベル賞に輝いたのだと思う。このような反応は学者だけではなく、すべての分野の人々にも共通すると僕は考える。例えば、哲学者であったら、人間の心理を不思議に思い、考え続け、学校の教師で会ったら、どうやったら生徒にわかりやすく学んでもらえるのだろうと悩み、努力していく。このように、不思議に思ったら、調べて行くという、「思い立ったが吉日」で人々は成長し、未知の領域を理解していると思う。
このように常識に逆らった思考能力や個人的成長を育成してくれる為、僕は不思議に思う事は大切だと支持する。過去にも古代ギリシャのソクラテスがこのような名言を残している。「不思議に思う事から知性は始まる」と。この言葉は、二つ目に僕が理由として挙げた、「不思議に思う事は成長を促してくれる」と似て、好奇心が人間の「知りたい」という本能をくすぐり、どんどん知性が広がっていくという意味だと僕は解釈した。「不思議に思う事は大切じゃない」を支持したら、学ぶことが増えなくて済むという利点はありますが、そうなってしまったら人間はこれ以上知性的に成長できないと思う。人間がこれからも物事を不思議に思い、常識にとらわれず、成長していけば、我々はまだまだ進歩していけると僕は強く信じている。