学問の意義
   高2 あいらう(airau)  2025年10月1日

 「キーンコーンカーンコーン」。極度の緊張の中、科学の夏休み明けテストが始まった。1月期の成績発表の時、先生に留年黄色信号と言われたため、このテストのために夏休みはかなり勉強してきた。その分、緊張も高まっていった。しかし、緊張により頭が真っ白になり計算が全くできなく、1学期とあまり変わらない点数を取ってしまった。おそらく、夏休み中の勉強も半ばいやいやこなしていただけだったので、あまり頭に入ってこず、自信につながらなかったのだろう。与えられた勉強だけをこなし、自ら進んで勉強をするという姿勢が失われていることは問題だ。

 その原因としては第一に、与えられた勉強をこなすことは、教える側からしても、教えられる側からしても楽だからだ。このことは、学校生活の中でよくわかる。私は付属校に通っており、受験がないため、先生たちの熱量も少ない。日本一休みが多い高校といわれており、授業もほぼ毎回終了時刻より早く終わる。そのため、定期テストでさえも、全教科マークシート式なのでテストの次の日には解答が返ってくる。マークシートは、機械が採点するため、先生のためが省けるのだろう。また、私たちも決められた範囲を勉強するだけなので、複雑ではなくなる。しかし、ずっと同じ勉強の繰り返しなので、次第に飽きてしまう。このように、学校教育において、前もって決められた範囲だけを勉強することは教師にも生徒にとっても楽である。だが、より実践的で、社会に出ても生かされるようなことを勉強する必要があると思う。

 その原因としては第二に、知識の量を競うような日本の受験システムの存在だ。日本の受験は、主に知識量や記憶力を重視する傾向が強く、限られた時間内でより多くの問題を正確に解答する力が求められる。推薦やAO入試でさえも、学校の成績が評価の大半を占める。その一方で、アメリカなどの海外の受験では、知識よりも思考力・表現力・応用力などの総合的な学力が重視される。そのため、論述や面接、課題研究などを通して、学んだ知識をどう活用し、今後社会に活かせるのかが問われる。日本の知識を問う受験方式と、海外の総合力や考える力を問う受験方式では、どちらか社会に出た時に活かせるかというと、私は海外の方だと思う。また、知識を蓄える方法は勉強するだけなので、それぞれに見合った個性を伸ばすことができない。そのため、日本の受験では、知識だけでなく、面接や小論文などの項目に重きを置くべきだろう。

 確かに、与えられた勉強をこなし、知識を蓄えていくことも大切だ。しかし、上達の1番の近道は、義務ではなく好奇心だ。私たちは、自ら勉強しようとする姿勢を保つべきだろう。