不思議
   中1 なかすけ(nakasuke)  2025年10月2日

 子供の世界は「不思議」に満ちている。小さい子供は「なぜ」を連発して、大人に叱られたりする。しかし、大人にとって当たり前のことは、子供にとって全て「不思議」と言っていいほどである。子供の「不思議」に対して、大人は特に簡単に答えられるけれど、一緒になって「不思議だな。」とやっていると、自分の生活がそれまでより豊かになったり、面白くなったりする。子供は「不思議」と思うことに対して、大人から教えてもらうことによって知識を吸収していくが、時に、自分なりに「不思議」なことに対して自分なりの説明を考えつくときもある。現象を説明するための話は、なるべく人間の内的世界をかかわらせない方が、正確になることに人間がだんだん気がつきはじめた。そして、その傾向の最たるものとして、自然科学が生まれてくる。「不思議」な現象を説明するとき、その現象を人間から切り離したものとして観察し、そこに話を作る。このような自然科学の方法は、ニュートンが試みたように、「不思議」の説明として普遍的な話(つまり、物理学の法則)を生み出してくる。これがどれほど強力であるかは、周知のとおり、現代のテクノロジーの発展がそれを示している。僕は、不思議に思うことは大切だと思う。

 第一の理由として、不思議に思うことによって、様々な新しい発見や新たな視点の発券があるからだ。自分も身の回りのことで良く不思議に思うことがある。例えば、教室の窓はなぜ左側なのか、黒板はなぜ緑色なのか、などと不思議に思います。不思議に思うことで、好奇心が芽生え、探求心の源となり、学びや成長、コミュニケーション、批判的思考を促進し、自己理解を深めることができます。そして、新しい知識の獲得や理解の深化、創造性の開花に繋がり、問題解決能力が向上します。また、不思議に思っただけでなく、それらを自ら追求し、率先して行動するが大切である。さらに不思議を追求していくうえで、求めてること以外の発見があったりする。一つ一つの学びを大切にし、不思議を追い求め続けることが大切である。

 第二の理由として、不思議に思う気持ちがないと毎日の生活が楽しくないからだ。大げさに言ってしまうと、不思議に思う気持ちがなければ、人生に意味や価値なんてあまりないと思う。自分の知らない世界を追い求めていくことが、人としての存在意義だと僕は思う。不思議に思う気持ちがないと、未知への好奇心に対しての探求心が刺激されなくなり、マンネリ化が解消されず、新鮮さや活力が生まれなくなります。さらに、知識や視野が広がらず、精神的な成長にも繋がらず、新しいアイデアや創造的な思考が生まれなくなります。「不思議」とは、人生のありふれた瞬間に光を当て、生きることを面白くする魔法の道具のようなものです。常に好奇心や探求心を持って世界と向き合うことで、僕たちは充実したよりよい人生を送ることができるのです。辞書は紙派か電子派という調査で、電子派が89.5%で紙派が10.5%だった。僕は紙派である。電子辞書はすぐ調べられて便利で、様々な情報が詳しく書いてある。しかし、電子の場合、調べたことだけしか出てこない。紙の場合、調べたもの以外にも、近くにある言葉を知ることができ、新たな学びや知識を得ることができるのだ。

 確かに、不思議に思うだけでは成長できない。しかし、「私は特別に才能があるわけではない。ただ、猛烈に好奇心が強いだけだ。」というアインシュタインの名言があるように、不思議に思う気持ちを抱き続け、好奇心や探求心を育んでいくことが大切だと思う。