思いやり
   高2 とやさく(toyasaku)  2025年10月2日

 幼稚園では、他人の体に起こっていることを生き生きと感じる練習をするが、このような作業が学校では軽視される。学校ではルールそのものを学ぶが、ルールが成り立つための前提がなぜあるか理解することは基本的にしない。ルールが成り立つ前提とは、他人への信頼や想像力、幸福の感情であるということを学校でも教えるべきだと筆者は述べている。私は、他人を思いやり気持ちを大切にして生きていきたいと考える。

 そのための方法は第一に、対面で他人と関わるようにすることだ。なぜなら、思いやりは昔からあったものであり、最近使われるオンライン上のコミュニティで上手く思いやりをすることは難しいからである。以前私は、友だちから借りて身につけていた髪飾りをつけたまま、友だちに返却することなく自宅に帰ってしまったことがある。気づいてすぐに彼女との個人チャットに持ち帰ってしまったことに対する謝罪文を送り、事なきを得たかと思ったが、友だちからこちらこそごめんねと返信が来た。しかし非があるのは私の方なので、謝る必要はないと伝えた。お互いに相手を思いやって声を掛け合ったとつもりだが、どうしても文面上であると、謝罪によるただの自己満足に見えてしまう。文字の会話ではなく、対面であると、声や表情、温度感がわかって自分の思いが伝わりやすい。

 また第二の方法としては、教育の方針を随時見直すことだ。学校のオンライン教育は特にその都度見直す必要があると思う。新型コロナウイルスが流行した際、今後積極的にオンライン授業を取り入れていこうという流れがあったが、確かに外出が難しい人や状況であったら良いだろう。エジソンには、先生から頭がおかしいと言われて退学を告げられたという話があるが、彼が小学校の授業になかなか合わず、母親に家庭で勉強していたのは事実である。しかし、外に出ることができるならばコミュニティが狭い家よりも、たくさんの人と関わることが可能な学校の方が他人への想像力や思いやりについて知れることが多く、学びが深い。

 確かに、一度立ち止まって自分自身の考えを深めることも大切である。しかし『良い友人を得たければ、まず自分が良い友人でなければならない。』という名言があるように、まず私たち自身が他人を思いやれるようになり、他人との関わりを通して自分自身の立場や考えを確かめることがまずは大切だ。このように、特に対面での他人への思いやりを大切にしていきたいと私は考える。