一粒のお米は自然の力
   小4 はるまき(akoruka)  2025年10月3日

    一粒のお米は自然の力

              はるまき

 江戸時代では、武士や足軽の給料も、「五人扶持」「十人扶持」というように、お米で計算された。戦争中は、生産されたお米はすべて政府が一度買いあげ、消費者は決められた量だけを、そこから買うようになっていた。その、お米を買うための通帳は、長いあいだ、身分証明書のかわりでもあった。でも、一ヶ月も二ヶ月も晴れた日がつづいていても、水がながれているのはなぜだろう。雨をしっかりと受けとめて、大地につなぎとめている、森林や水田があるからだ。私がこの長文を読んで一番ありがたいなと思ったことは、森林や水田が水を届けてくれていることだ。何百年もかけて、自然が私たちを生きさせてくれる。このことには、感謝せずにはいられないと思う。

 一ヶ月前くらいに、祖母と母と、お米が美味しい新潟県へ旅行に行ったのだが、タクシーの運転手さんにオススメされたため、予定には入れていなかった星峠の棚田を見ることになった。星峠の棚田は、お米を作る水田が段々になって並んでいる有名な場所らしい。水が張っていて幻想的な景色を見られる期間ではなかったので、あまり期待しないでタクシーのドアを開けたが、その途端に

「わぁーっ!」

と感嘆の声を上げてしまった。草のみずみずしい緑、乾いた水田のくすんだ薄緑、山の深緑、空の鮮やかな水色が一つになって、最高の景色を生み出している。自然の素晴らしさに圧倒されて、ただすごいとしか言葉にできなかった。

 この出来事で自然の偉大さを思い知らされた私だが、母にも、そんな出来事はあるのだろうか。

「うーん、私の友だちの話なんだけど、その友だちのお母さんが米農家をしてて、実家の近くにお米の自動販売機みたいなものがあったんだって。それで、子どもの頃に、ジャーッてお米が出てくるのが楽しくて、その自動販売機で遊んじゃったって言ってたよ。」

確かに、私も幼かったら楽しいと思ってしまうかもしれない。

「そしたら、お母さんが出てきて、お母さんは淡々と一粒残らずお米を集めた⋯って友だちが話してたなぁ。」

私は、一粒残らず、という言葉が心に残った。もし私が一粒のお米だったら、暑かったり寒かったりしても、きっと美味しく食べてくれる人がいると信じて、頑張って生きる。でも、一粒だけお茶碗に残されてしまったら、どう思うだろうか⋯この話を聞いて、お米は、自然が人間に協力してくれて、やっと美味しくなるんだと感じた。

 当たり前のように毎日食べている「お米」。これは、人間だけが人工的に作っているのではない。自然と人間の力が一つになって、やっと私たちは美味しくお米を食べられるのだ。だから、雄大な自然に感謝しながら、お米以外の食べ物も、大切に、美味しく頂かなければならないと心の中で思った。