お米の大事さ
小4 みきひさ(mikimiki)
2025年10月3日
お米は私たちの気づかぬところで、いつも私たちと一緒だ。降った雨が森林や水田の土に染み込み、ゆっくりゆっくり地下を移動し、何年も何年も、ときには何百年もかけて、やがて地表に湧き出てくる。水田にたたえられたその水は、地下に染み込み地下水になり、やがて下流に流れ出て川に水を提供してくれる。
「お米は生きている」を読んで一番驚いたのは、昔は米が給料の代わりだったところだ。なぜなら、今ではスーパーで売っているというのに、昔は金というとても価値のあるものだったからだ。もし、僕がお金の代わりに米をもらったら、美味しそうだから食べてしまうと思う。
これは、米が大切なことについての僕の話だ。一年生の頃の話で、朝ご飯は毎日米だった。昼ご飯は学校で食べ、それもほとんど米だった。夜ご飯は毎日米があるのだ。つまり、朝、昼、夜と米が必ず出ているのだ。必ず米が出てくる様子は、まるで、毎日出てくる太陽のようだ。でも、最近は、家でも食生活の多様化が始まったのであろうか。朝はパン、昼は米とおかず、夜も同じだ。つまり、米は朝がパンになった。食生活の多様化とは、日本人の食べているものが和食から洋食になったという変化だ。それでも、一日に二回は米を食べている。ここから、米は日本人にとって大切な食べ物だと分かる。
また、父にも話を聞いた。父が小学生の頃、小学校の先生が言っていたことだ。
「物には一つ一つ神様がいる。だから、米は残さず食べましょうね。」
と教えてもらった。たぶんニコニコと言ったのだろう。そこからも神様がいるから大切なものだと分かる。だから、お金になったのかもしれない。先生が言っていたことは「神道」という考え方だ。
人間にとって、米とは、金と同じような存在だ。なぜなら、どちらも大切なものだからだ。米は食べると元気になる。元気になると、健康になる。「健康第一」という言葉のように、これからモグモグと米をたくさん食べて元気になろうと思う。
「今日もご飯をおかわりだー。」