表面と裏面
中3 こたつ(akiriyo)
2025年10月3日
物心のついた子供を動物園に連れてゆくと、たいていの子供は初めて見る動物の姿に素朴な驚きと興味を示す。子供たちの目にまず映るのは、象やキリンやライオンなどの珍しい動物の形や色だ。それらの動物の生息地や生態、進化などに興味を持ち始めるのは中学生以上になってからの話である。科学の発展段階は、まさにそれと同じ道筋をたどる。ある物事に興味を持ち、それを研究しようとするとき、まず誰しもが悪モクするのはその形態やふるまいだ。次いで、その特徴について探求する。
私は、表面上の物事だけを見るのではなく、その裏側で何が起きているのかを考えられる人間になりたい。
そのためには二つの方法があるだろう。
一つ目は、聞いたことをただ、鵜呑みにするのではなく、本当にそうなのかと自分で考えてみることだ。最近、インターネット上ではAIを使った偽情報、いわゆるフェイクが急速に増えている。たとえば、私がSNSで見たある映像には、トランプが差別的なことをを言っている様子が映っていた。最初は本物のニュース映像のように見え、思わず信じそうになった。しかし、よく調べてみると、それはAIで作られた「ディープフェイク動画」で、実際には本人が発言していないことが分かった。AIを使ったフェイク動画の酷いところは、もしも、このときに私が内容を疑わずに友人などに共有していたら、偽の情報を広める一人になっていたかもしれないというところだ。技術が発展してきたからこそ、それに合わせた思考を持ち合わせないといけないと私は思う。
第二に、学校などの教育の場で、単に知識を覚えるだけでなく、その裏にある原理や理由を考える力を養うことだ。たとえば、文学の授業で「閑さや岩にしみいる蝉の声」という松尾芭蕉の句を学ぶときも、「静けさ」と「蝉の声」という一見矛盾する要素が、実は深い自然の調和を表していることに気づく。表面的な静けさの中にも、よく耳をすませば命の営みが感じられる。このように、表と裏の両方に目を向けることで、作品の味わいは格段に深まる。
確かに、表面だけを見て理解したつもりになるほうが、裏側を探るよりも簡単でわかりやすい。しかし、そこにとどまってしまえば、私たちの思考は浅く、偏ったものになってしまうだろう。物事の裏側を見ようとする努力を続けることで、私たちの考え方はより鋭く、柔軟で豊かなものになっていく。見えているものの奥にある「本当の姿」を理解できるようになってこそ、真に思考は研ぎ澄まされていくのだろう。私はこれからも、身の回りの出来事をただ眺めるだけでなく、その背後にある意味や仕組みを考え続けていきたいと思う。