あなたがたはとくと(感)
小5 あきらほ(akiraho)
2025年10月3日
日本は手仕事の国である。西洋では機械の動きが盛んで手仕事の方は衰えてしまった。機械に偏りすぎてしまうと国民的な特色があるものが乏しくなってしまうからだ。これらの欠点を補うためには手仕事を守らなければいけない。日本の固有な美しさを守るために手仕事の歴史をさらに育てるべきだと思う。美術家の作るものは名を残し尊ぶ風習を生んだが、職人たちが残したものには、名を残そうとしない彼らがこの世に生きていた意味が宿る。
僕が一年生の時、図工の授業で粘土の恐竜を作った。何故ならその当時、僕は恐竜にはまっていたので図鑑でみたティラノサウルスの口を大きく開けて威嚇している様子を粘土で表現したかったからだ。出来上がった作品を見たクラスメイトが「まるで本物の恐竜みたいだ」と褒めてくれたので僕は頑張って作って良かったと思った。父が買ってくれた既製品の恐竜も気に入っていたが、自分で作った恐竜は、でこぼこしていて恰好は悪いが、丹精込めて作った恐竜の作品を見ると自分のことを誇らしくなるものだ。
僕が赤ちゃんの頃、父は赤ん坊の僕でも取り出しやすいように、背が低くて横並びで本が取り出せるタイプの本棚を作ってくれたそうだ。小さい子でも自分ですぐに本が取り出せて片付けもできるので、僕もその本棚のそばで良く絵本を拡げていたそうだ。今は父の部屋に置かれているその本棚をみると、僕は父の愛情を受けていたことを改めて感じ嬉しくなった。
既製品は機械で作られているので、機能的で使いやすく、すぐに手に入りやすいという面が良い部分だ。手作りの品は完成度は高くないかもしれないがこの世に一つしかなく手作り品を見るとその当時の思い出が蘇り愛着が湧く。思い出と愛着は物を大切にする心が育つと思う。まさに「山高きが故に貴からず」だ。