昨日の夢
   中2 あおらえ(aorae)  2025年10月3日

 昔は細い若木だったもみの木立ががっしりと高く聳えていた。花から花へと歩き、匂いを嗅いだり、観察したり、また雲の多い空を眺めた。とある不安を感じながら、少年時代に喜びを味わったなじみ深い場所を見回す。庭、花で飾られたバルコニー、敷石が緑色になった中庭が昔とは違った面持ちで見つめてきた。花たちは魅力を幾分か失い、水桶ももう泉でなく、大河でなく、ナイアガラの滝でもなかった。歩いていくと、鉄道の土手のところで一匹のトカゲを見た。すると、少年心が急に蘇り、ついに捕まえたが、喜びも急に失せた。何をすれば良いかわからない。汽車が輝く鉄路を走って来、それを見送った後、くっきりと列車に乗って世の中へと出たいと思った。



 無邪気に過ごせるような子供時代は人生において必要である。そこで周囲の環境と一体となった満足感によって、人格、性格の形成に影響が及ぶ。私は保育園の年長、小1ほどの年代の時に名古屋の千種区という区に住んでいた。その保育園の園舎内には多目的室という、当時は体育館ぐらいの広さに思えた部屋があった。卒園式はそこで行われたのだが、その時は卒園生の保護者のほか、年少、年中の園児たちも参加し、皆で盛り上がっていたことを覚えている。私ももちろん友達と騒いでいて、とても印象に残っている。その時のプレゼントとしてもらった付箋は、今でも大切にとってあるし、その時に服に貼っていた名札さえも、その付箋とともにとってある。人にとって子供時代とは、記憶から一生離れないものである。



 しかし、親から自立し、孤独に一人ぽつんといながら自分自身を見つめるようなときも必要である。周りと一体となって行動していると、なかなか自分自身を深く考えることはないだろう。自分自身と向き合うことで、自分をよりよく知ることができる。例えば、サン=テグジュペリの話に「星の王子さま」という物語がある。飛行機のパイロットであった僕は、砂漠の真ん中に墜落してしまう。そこであった王子様は別の星から来ていて、ほかの星の奇妙な人たちを見てきた。その旅の過程で、自分を深く考える時間を持つことになった。「一番大切なことは、目に見えない」という狐にもであった。自分のことをよく知ることによって、他人とのつながりの中で本当に大切にすべきものを見極めることができる。



 人としての根幹は子ども時代であると思うし、大人としての成長の一つは自分とより長く見つめあうことであると思う。よって無邪気に遊ぶ子供時代も、孤独になって考えるときも、どちらもたいせつである。しかし、「ロケットの父」と呼ばれるゴダードは「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である。」といった。昔の夢を、一歩一歩着実に進めていく、すなわち自分を成長させることができるように過ごすことが重要だ。子ども時代とはその基礎を固める役割をすると思うし、自分自身と見つめあう時間というのはそれを進めていく過程としての役回りだと思っている。だからこそ、自分をそれに合わせて成長させていくことこそが最も重要なことである。