努力の味方
小6 あこまき(akomaki)
2025年10月3日
笑う門には福来るのであって、福が来るから笑うのではない。運は日常の生き方の結果である。日常生活はそのような誤魔化したことをいい加減にしておいて大きな幸運を望んでも無理である。毎日の些細な生活上の連続が大きな幸運や不運を運んでくるのである。人知れず苦労をしていない人は、すぐに物事を幸運とか不運とかで片付けてしまう。しかし幸運と見えてもうまく運ぶには影でそれなりの長い長い努力や苦労が必要となる。「人生の消耗に耐えられる人は、幸運の人である」とカソンは言う。困難のない人生などない、これが人生の運を考える時の大前提である。
私は大人数型のキャンプへ毎月行っている。そこで会う人は全て初めての人だから自己紹介をしている。自己紹介では主に名前と近況を言う。近況とは最近学校であったなどを話すことである。私はそのキャンプへ初めて行った時は小学二年生でとても幼かった。前に出て話すのがとても緊張してよく母の背中にへばりついていた。しかし、最近は自己紹介の近況のときに、来ている人を笑わせれるようにと考えながら発表することができている。私は近況で話す内容を二日前から考えている。学校で何があったかを頭でメモをして夢の中でしゃべることをまとめている。途中で行き詰まってしまうことが多いので近況を一文一句間違えないようにと何度も練習をしている。実際に発表しているとそこにいる人たちがニコニコ笑ってくれてとても嬉しい。そのように周りから見たら面白い人だと思ってもらっているかもしれないけれど頭ではとても考えている。それが真の努力ではないのだろうか。
「カラス〜なぜ鳴くの〜カラスの勝手でしょ〜」
このフレーズは四十年にもわたって私たちが口にしているあの曲だ。
ドリフターズはどんな世代でも人気なお笑いグループだ。学校コントや家族コント、お化け屋敷コントなどと体をはったコントがたくさんある。特におすすめのコントは学校コントだ。先生役のいかりや長介を中心にクラスの問題児と共に勉強をするといった内容だ。毎度同じような流れでも内容は全然違ったりと日々驚かされる。私は特に志村けんという人が好きだ。志村けんは見てもらっている人に楽しんでもらおうと夜、どんなに疲れていても1日に一本は必ず映画を見ていたそうだ。また、ただの非常識な人間ではうるさいだけの人になってしまうのでまず人間の常識を知ろうとたくさんの本を読んでいたらしい。決して表に出さなかった苦労や努力。見ている人に楽しんでもらおうという思いで日々頑張っている姿を私は心から尊敬する。
人間にとって幸運とは努力した人だけが得られるものである。それはまさに悪戦苦闘である。これは苦しい中でも努力をしたら辛い困難でも乗り越えることができるという意味だ。人間はあの子はテストで百点とっていて羨ましいと言ったり、この子は足が早くていいななどと思っている。しかし、実際には毎日勉強を十時間以上やっていたり、朝に外をたくさん走っていたりと尊敬されている人は裏では辛い苦労をしているのである。だが、努力したものが必ずしも運というものに味方されるのではない。勉強をしたのに成績がよくない、何もしていない人が受験に受かったのに自分は受からなかった。そのような悔しい経験は誰にでもあるのではないのだろう。私の母は昔、若手の頃に上司から興味のないような仕事を押し付けられていたらしい。なんでやるのだろうと思いやっていたそうだ。しかし現在、工夫してやらないといけない時に役に立ったと言っていた。このように例え今運に味方をされなくても、いずれその努力は報われるのである。私たちも見ず知らずの世界にチャレンジをしてみてはどうだろうか。