昔のお米
   小4 あこゆい(akoyui)  2025年10月3日

  武士や足軽の給料も、「五人扶持」「十人扶持」というように、お米で計算されました。五人扶持とは、五人のけらいがやしなえるだけのお米です。ひとりいちにち五合として計算されました。昭和になって戦争中、

 日本には食糧がなくなり、お米は配給制になりました。生産者も消費者も、かってに売ったり買ったりすることは禁じられ、生産されたお米はすべて政府がいちど買いあげ、消費者は決められた量だけを、そこから買うようになりました。わき水のあつまりがふだんながれている川の水なのです。「森林は緑のダムだ。」と、よくいわれます。おなじように水田も、ダムなのです。田植えどき、水をはった段々畑を見てください。「なるほど小さなダムたちが、山の斜面にはりついているなあ。」と、あなたもきっと、感心するでしょう。水田にたたえられたその水は、地下ににしみこみ地下水になり、やがて下流にながれ出て川に水を提供してくれます。私がこの長文を読んでびっくりしたことは昭和になって戦争中お米が配給制になったことです。

 私のおばあちゃんの家の周りには田んぼがたくさんあってなえを植えているところを見るとなぜすきまを開けて植えているのか疑問に思いました。私の予想は育つときにぶつかり合ってよく育たなくなってしまうからだと思います。しらべてみると植物同士の生育スペースを確保するためです。すき間が狭すぎると、日光不足、栄養の不足、風通しの悪化、病害虫の発生などを招くためなのだそうです。ちなみにおばあちゃんは畑を作っていて秋になるとサツマイモ掘りをしたりします。

 もし、私がお米に困るほどのときに生まれていたらがまんできないと思います。まるでお米も水もキラキラと光っている宝物みたいです。お父さんに聞いた話ではお父さんのおじいちゃんが昔お米を育てていてお父さんの家族は毎日家で取ったお米を食べていたそうです。

 私はお米は昔あまり食べられなくなったりしていてたくさんの人が亡くなってしまったから今は困らなくても食べられるから毎日お米を食べるときに大切にありがたく感じながら食べたいなと思いました。水の話は森林は「緑のダム」と言われていてとても優しいから水を飲むときや使うときに大切にしようと思いました。