価値尺度
   高3 あかしか(akasika)  2025年10月4日

 日本はアメリカより国土面積が狭いが、GNPや地価の総額は高いので、豊かな国である。しかし、日本は金持ちになればなるほど長時間労働などの経済活動に追い立てられ、経済価値を増やすか否かで人間の能力は判定されるようになった。福祉事務所で親身になって働く職員よりも生活保護を申請する人を追い払う職員の方が有能とされるのは、日本にお金を貯めることができるからという経済価値のもとにある。日本人の判断基準の最優先が経済価値の生産量になっていることが問題だ。

 その原因は第一に、日本の社会がこれまで「アメリカに追いつこう」とがむしゃらに走ってきたからである。豊かさの基準は表すことが難しく、目に見える形で表そうとすると「お金」が一つの指標となる。戦後の日本がアメリカや他の列強に豊かであることを認めてもらうには身を削ってでも働いてお金を稼ぐしかなかった。しかし、お金があることが本当の幸せに結びつくかどうかはわからない。日本の典型的なお金持ちの家族というと、お父さんは仕事で忙しくて滅多に会えず、お母さんもお父さんのサポートをしているなどで実質的には召使に育ててもらうという形だろう。この状況で子供はどんなに豪華な誕生日パーティーをやっていいよと親に言われたとしても心は満たされないだろう。

 第二の原因としては、教育現場で、点数が高い人が偉いという風潮があることだ。幼い頃から高い点数を取ることがすごいことと教わった人が大人になった時、周りからすごいと思われるために点数を取ることからお金を多く持つことに考えが変わるだろう。日本の教育は小さい頃から数値で何かの価値を測ることを教えているのだ。そのため、偏差値の高い大学に進学し、一流企業に勤めて多額の給料を貰うことがいわゆる人生の勝ち組のテンプレートとなっている。何かを数値化して物事を客観的に見ることは大切ではあるが、その値を取ることを目標にしてしまうと取った後のことを考えられなくなるケースもあるだろう。何かを決める時の尺度として数値は一つの手段ではあるが、他の基準も候補に入れておくことが大切だ。

 確かに、生活を安定させるためにはある程度のお金は必要である。しかし、「幸せは、お金だけで得られるものではなく、心で感じるものだ。」のように、お金がすべての尺度になってはいけない。お金をかけなくてもどんな些細なことでも幸せは見つけることができるだろう。私は来年、大学生になる。中学校、高校では定期テストの点数が高かったり低かったりすることで交友関係を判断することもあった。大学生では、今持っている尺度とは別に幸せに関する新しい基準を一つ持つことを意識しようと考えた。