全てを知ったらつまらない
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大人になって、毎日同じことを繰り返すと、「ふしぎ」に感じることはなくなってくる。これにより、知識で安心感んを得ようとするが、子供は自分なりの物語で納得する。人類は古くから体験の「ふしぎ」を物語で納得する。人類は古くから、体験の不思議を物語で表し、神話として存在を深めてきた。しかし、自然科学の発展によって、外的現象の説明に偏り、心と世界のつながりが見失われつつある。私たちは、物語的説明の重要性を見直していくべきだ。
そのためには第一に、子どものころの感性を失わないようにすることが大切である。というのも、当たり前のようにあるものに対しては、感情の動きが少なくなってしまうからだ。さらに、大人になるにつれて、感情を抑えることが良いとされ、素直に喜怒哀楽を表すことが難しくなる。その結果、ストレスがたまったり、感情を無理にコントロールしようとして混乱することもある。しかし、子どものころの感性に従い、事実だけでなく想像も交えて考えれば、現実とほどよい距離を保つことができるだろう。感性を保つには、まず身の回りの出来事に「なぜ」や「どうして」と疑問を持ち続けることが大切だ。疑問を持つという行為そのものが、世界を新鮮な目で見る力を育てる。たとえ素朴な疑問であっても、それは感性を働かせる第一歩となり、調べる過程で物事を多面的に見る力も養われる。私自身、スマホとパソコンの値段の違いが気になって調べたことがある。素材の違いが小型化や冷却機能に関係していると知り、さらに興味が広がった。このように、疑問を出発点に感性は磨かれていくのだ。また、日常で感じた小さな違和感や美しさを言葉にしてみることも有効である。言葉にすることで感情や発見が形を持ち、記憶に残りやすくなる。たとえば「今日の夕焼けは昨日より少し寂しそうだった」と感じるだけでも、感性が生きていることを実感できる。さらに、他人の感じ方に耳を傾けることも重要だ。異なる感情の動きを知ることで、より広い視野が得られる。こうした積み重ねによって、「当たり前」に埋もれた世界の中から新しい発見を見いだせるのである。
第二に、幼児期から科学的な理屈で説明しすぎないことが重要である。あまりに早くから明確な答えを求めすぎると、自分でイメージする力が育たなくなる。たとえば空が青い理由を大人が説明するよりも、「青い空の向こうには何があるのだろう」と想像する時間のほうが、心を豊かにする経験となる。科学的知識は大切だが、それだけに頼ると柔軟な発想が生まれにくくなる。実際、科学と想像の両方を重んじた人物こそが新しい時代を切り開いてきた。レオナルド・ダ・ヴィンチは、科学を研究しながらも「人が鳥のように飛べたら」と夢見て、飛行機械を描いた。その発想は合理性だけでなく自由な想像力に支えられていたのである。したがって、子どものころから理屈で片づけすぎず、疑問や願望をそのまま受け入れる余地を残すことが大切だ。そうすることで論理と感性の両方を持つ思考が育ち、既成の枠にとらわれない柔軟な発想ができるようになるだろう。
確かに、科学的裏づけを持たない説明に頼りすぎるのは危うい。しかし、世界を知りすぎたとき、人は世界を感じなくなる。だからこそ、知識だけでなく物語や想像を通して世界を感じ取る心を、私たちは忘れてはならないのである。