成長していく
   中2 のんのん(auhoha)  2025年11月2日

 一切れのパンをポケットに入れて家を出て、気の向くままに歩いて行った。少年時代にいつもそうしたように、私はまず家の裏の庭へ入った。父が植えたモミの木立、私がまだほんの幼い、細い若木だったのを覚えているモミの木立がしっかりと高くそびえ、その下には淡褐色の針葉が降り積もっていた。花壇には、母の植えた宿根草が生えていて、豊かに、楽しげに花をつけていたはずだった。私は少年時代に喜びを味わった、なじみのある場所を見回した。しかしそれらは昔とは違った顔をしていた。少年のころの狩りの楽しみでさえ、獲物が力強いからと硬い足が指の間で抵抗し、突っ張るのを感じた瞬間喜びは消えてしまった。逃がした動物が汽車の輝く鉄路を走っていった時、一瞬非常にはっきりともうここでは本当の喜びの花が咲くことはない。あの列車に乗って世の中に出ていきたいと、心の底から思った。

 人間には無邪気な子供時代も必要である。なぜなら、そこで家族や友達と協力して生きていくことを覚えることができるからだ。雨が降った後の湿った土は絶好の泥団子の材料だろう。私の言っていた保育所でも、みんな雨が降った次の日なんかは、泥団子を作って遊んでいた。そのほかにも土や砂で遊ぶことは楽しい。私が一番よくやった遊びは、土トンネルをつくるというものだ。土を富士山のように高く積み上げその山の下に穴をあけるというだけのものだが、水をかけないと土が固まっておらず倒壊するし、逆に水をかけすぎると、水の重みでいびつな形になってしまうという案外繊細さが求められる遊びだ。しかも土を重ねて高くすればするほど、根元は太くなっていき、一人の手では山に穴をあけるのは大変難しくなってくる。ましてや、小学生にもならない幼児一人では途方もない時間がかかってしまうだろう。この世にはどうしても一人ではできないことというのが存在するのだ。それを解決するにはどうすればいいか。誰かに助けを求めればいいのである。実際私も土トンネルをつくるときは友達や親に協力を求めた。そして、完成したとき私たち幼児は助けてもらうことの大切さに気づくのだ。人は共感できることほど親身になって考えることができる動物なので、こういった体験からほかの人が助けを求めることもあることを覚え団結することを知ることができる。周りの温かい気持ちによって、幼児はそれぞれの中にも温かい光を持ち始めていくのである。

 しかし、親から離れて一人孤独に自分だけの時間も必要だ。昔話に一寸法師というお話がある。一寸法師はおじいさんやおばあさんと幸せに暮らしていたが、見聞を広めたいという理由からおばあさんたちの元を離れて都に向かう。このように親元にいるのは平穏な日常を感じられて素晴らしいのだが、「井の中の蛙大海を知らず」ということわざがあるようにずっと同じところにとどまっていたら、出会えるはずだった面白いものや、自分の本当にやりたいことを見つけることができないのだ。そのため、一寸法師のように親元を離れて新しい景色を見に自立することが大切になってくる。私は小さいころ、ひとりで電車に乗って好きなとこに行くことができなかった。行ってみたいところは、初めて聞く駅名、自分の知らない町並みが広がっているからだ。迷ったら、トラブルが起きたらどうしようという不安が目的地に着きたいという思いより大きくなってしまって、なかなか一歩を踏み出せずにいたのだ。だから私は外で遊ぶより家でゲームをするほうが好きだった。しかし今は一人で知らない場所に行くことができる。なぜなら、道のところに行く楽しさを知ったからだ。初めて聞く駅名も見慣れない町並みも見方を変えれば、新鮮な気持ちで楽しむことができる。新しいものを見るたびに面白いなと感心したり、驚いたりする。私はそんなお出かけが好きだ。今、家で遊ぶのと外で遊ぶのどちらが好きかと聞かれたら断然外で遊ぶことだ。最初は不安でいっぱいかもしれないが一歩前に踏み出すことで、世界は広がり、また新たな景色を見せてくれるのだ。

 確かに身の回りで無邪気に遊ぶことも親の元を離れてみるのもどちらも自立するということに関しては大切だが、「忍耐と熟考で困難に当たれば、その度に成長することができる」という名言があるように、私は困難にあったときはそれをチャンスととらえ、自分がもっと成長できる材料にしていきたい。