手作業のぬくもり(清書)
小5 わかば(akahime)
2025年10月4日
日本人は昔から、手で何かを作るという文化が残っている。機械の場合、お金やコスト削減のため使われる影響で、できる物が粗末になりがちであることが多い。しかし、手作業で作られたものは、品物がてがたく親切に作られているようにわたしには思える。
私の持ち物には祖母が作ってくれたものが多くある。例えばランチョンマット、体操着袋、音楽バック等が挙げられる。その大半が私が一年生の時にもらったもので、そのときからずっと使い続けている。学校が売っている体操着袋もあるが、それは大体の生徒が持っているため、それをどのくらい大切に使っているのかが一目見てわかってしまう。「同じ」ものを持っているというのは良いことでもあるが悪いことでもある。体操着袋がとてもきれいな人がたくさんいたとする。しかし、ある人の袋だけがボロボロになっていた場合、その人が袋を大切に扱っていないということが見て取れてしまう。手作りの品ではそんな心配をする必要がない。おかげで気が楽だ。それに、手作りの品、というのは思いがこもっていて、時間も手間もかかっている。機械が作ってものだと時間と効率を重視してあるため、きれいではあるが思いがこもっていない。品物を見ただけでの思いがこもっているかこもっていないかの判断は難しいが、私は機会が作ってと聞くと自然と悪いイメージを持ってしまう。それは私だけだろうか。もし大体の消費者がそうだとしたら、まるで機械は悪役のようだ。機械にだって良い点はたくさんあるのに、イメージで決めつけてしまっている。
学校で遠足に行ったときのことだ。ある服を十人ほどの女子が着ていた。色違いを持っている子もいたが、はたから見るとそう変わらない。その服のデザイン自体はオシャレだとは思うが、そう何人もいては、特別感がない。手作りは一つしかなくて、思いもこもっている。しかし、機械の作ったものは世界にたくさんあり、多くの人が持っているのだ。これは母から聞いた話だが、母は昔流行に流されていて、その時流行っている服をたくさん買っていたらしい。しかし、結果的に後から使わなくなってしまうことに気が付き、流行の服を買うのをやめたそうだ。それを聞いて私は、機械が作った製品はたくさん製造されていて、だから流行が起きてしまうが、世界に一つしかない手で作られたものを持っていたら、流行に振り回される心配はないと感じた。
しかし、機械は工場や道路等、幅広くいろいろな場面で使われている。本当に機械は悪いものなのだろうか。去年の七月のことだが、私は家族で信玄餅の工場に行った。そこでは、ラッピングの工程をすべて手作業で行っていた。その信玄餅の会社の人が、安心できるように手作業で行っているのが売りだと説明していた記憶がある。たしかに、機会がやっていては、小さな異変に気が付かないかもしれない。インターネットで調べてみると、機械で物を作ると柔軟性に欠けるし、細かい作業ができないと書いてあった。でも、良い面もあり、製造者の安全性も高まり、手作業の品より上手に出来上がる。機械は短所ばかりではないのだ。しかし、私はそれを知っても手作業の方が良いように思えてしまう。たとえ上手でなくても、私にとっては人が頑張って作ってくれたと思うと嬉しいのだ。
時は金なりということわざがある。しかし、時を節約するために機械で作られた品より、手で作られた品の方が、作り方も丁寧で、思いがこもっているということが分かった。