人間の幸福と欲
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 私は幸福とは現実には存在しないもの、つまり抽象的な概念だと思う。それは夢と同じようなもので、夢は叶っていないからこそ夢として存在している。叶えば夢でなくなる。幸福も似たようなものだ。幸福とは満月のように心が満ちたり、もはや他に何も望むものがない状態だろう。しかし、人間の欲はほとんど無限である。欲望が尽きることはない。例え満足していると思い込んでいたとしてもそれは欲が潜在しているだけで、より良い条件を提示されればそちらを望むようになる。尽きない欲と、現実の自分の状況のギャップに無力さを感じはしても、いくら欲望を追いかけても、欲が完全に満たされることはないのだ。そして、私たちは欲望によって向上心が生まれている。より良い状態を目指そうとするのも根本には欲がある。よって私たちは顕在的な欲を持ち続けるべきだ。

 

 第一の方法は、好きなこと、夢中になれることを見つけることだと思う.例えば、写真を撮ることが好きになれば、より高性能な機材、より美しい構図、より良い技量を求めるようになる。このように興味のあるものについては、具体的な目標が定まりやすくなる。私も、高校では少し事情が違っているが、中学では定期テスト勉強は欲があったからこそ取り組めていた。公立中学校ではどんなに悪い成績を取ったとしても進級が可能だ。よって最悪全くテスト勉強をしなかったとしても現実的にそれほど支障があるわけではない。けれども私は少しでも高い点を取るために比較的真面目にテストの直前には勉強をしていた。つまり、欲があったからこそ勉強ができたのだ。

 

 第二の方法は、成功体験を積み重ねることだ。絶対に実現不可能な欲を持ったとしても、実現するまでの道のりの遠さに無力感を感じ、こういうことが何回かあると諦観を生じ、欲が潜在化して容易には現れなくなってしまう。どうせ自分には無理だと頭から決めてしまい、何に対しても挑戦しなくなることだ。それよりも、小さい目標を立てて、それらを一つ一つ実現していくことで大きな目標に近づいていく方が最終的な距離は近くなり、しかも成功体験に裏打ちされた自信がついていく。ドイツ帝国の宰相のビスマルクはドイツ統一の際、デンマーク、オーストリア、フランスと初めは小さな国、順を追うごとに大きな国へと戦う相手を変えることで、最終的にドイツを統一し、また国民をまとめた。このように目標は階段を一気に十段飛び越えようとするのでなく、一段一段着実に登る方が欲は叶えやすいし、見失うこともない。

 

 確かに、実際的な、他の人を代償にして得るような欲は抑えるのも大切だ。人間が社会的な生き方をしている以上、譲り合い、思いやりは不可欠である。しかし、人間は欲があった方が物事のやる気も出るし、向上心も保つことができる。必要は発明の母というが、必要というには言い換えれば便利、快適な暮らしを望む欲あろう。私も常に向上心を保って生活を充実させたい。