子どものころ、わたしは(感)
小5 あきらほ(akiraho)
2025年10月4日
ノーという言葉は、時としていいにくいが、言うべき時に言わないでいると相手に迷惑をかけることがある。依頼やわびの言葉も言いにくい。しかし言いにくさを押し切っていう姿こそ相手の心を動かす。自分を否定するとは自分の全体をだめだとしてしまう事ではない。自分の欠点を認めたり認められることは本能的に避けようとするものだ。このような言いにくい言葉を征服すると相手に通じるだけでなく言葉の響きも姿もはっきりしてくる。
僕は学校で放送委員をしている。五年生の最初のころは、放送委員会で必要な資料をときどき忘れていた。ある日僕が担当している読み聞かせコーナーで、僕は読み聞かせをする為の紙を忘れてしまった。その時、放送委員会の先生に、忘れたので新しい紙をくださいと言おうとしたが、言い出せなかった。何故なら、その先生は、機嫌がいい時と悪い時で態度が違うからだ。大声で怒られてしまい、自分の恥を友達にさらすような事になりたくないのだ。結局先生に言えずじまいで、途方に暮れていたが、六年生が読み聞かせコーナ―の紙を渡してくれた。しかし、紙を渡してくれた六年生は責任感がとても強い人で、「なんでそのことを先生に言わなかったの?」や、「今度から注意しなよ」と僕は叱責された。僕は、このような状況になり自分自身がふがいないと思った。先生に言えなかった僕はまるで心の一部に鍵がかかっているようだった。
母が高校生のある日、寝坊をして遅刻をしてしまったそうだ。校門で生徒指導の先生が立っていたのだが、遅刻の理由を聞かれた。つい言い訳をしそうになったが、潔く、「すみません、寝坊をしてしまいました」と言ったところ、先生に「遅刻は悪いことだが言い訳をせずに正直な理由で謝ったのは良いことだ」と反対に褒められたそうだ。母は正直に理由を言ったその時は恥ずかしかったが、自分の事が認められて、先生と心の交流ができたことが嬉しかったそうだ。正直に謝ることで他人の自分への見え方が良くなるのだと思った。
わびや依頼の言葉は自分をだめにしてしまうと考えがちだが、実は素直な真実の言葉は相手に通じるだけでなく、言葉の響きも姿もはっきりしてくることが分かった。だが、相手の人柄や状況により必ずしも正直な言葉が相手に真っすぐに通じるとは限らないと思う。それはいろいろな状況があるからだ。そしてもし自分の非を認めないといけない状況で、真実の言葉を言えなくとも、今度はちゃんとやろうと反省できるかもしれない。しかし言えた方がスムーズに物事が進むだろうし、何より言えた自分が成長したと誇らしく感じられると思う。だからこれから僕がもし謝罪をしないといけない時があれば相手に自分の反省が伝わるように素直な言葉を伝えたい。