個人の大切さ

   高3 あかしか(akasika)  2025年11月1日

 ドイツは日本よりも社会的共通資産が普及している。日本人が早く帰宅するためにタクシーの奪い合いをしてい一方で、ドイツではわずかの夜勤の人たちのためのバスや、なるべく公共交通機関を使うようにチケットを安くしたり、二十四時間営業している救急室があったりするなど、市民の大きな生活の安定をもたらしている。西ドイツでは家族や地域社会で過ごす時間を大事にするために労働時間を短縮する運動を起こした。結果、日本より年間五百時間も短くなった。日本社会では人間らしい生活ができなくなっているのが問題だ。

 第一の原因は、日本には個人よりも集団の都合を優先させる考えがあるからだ。日本人は幼少期から集団行動を教えられる。そのため、個人の都合よりも人数の多い集団の都合を優先するべきという思考が定着しているのだろう。私はアメリカに住んでいたことがあるが、クラスという集団はあったけれどどこかへ行くために並ぶ時の位置はランダムであり、縛られている感じが全くなく過ごした。中学生の頃日本に帰ってきて、中学校に通い始めて日本のみんなで揃えて何かを行う場面に久しぶりに出会った時はギャップに驚いた。また、高校二年生の時にオーストラリアへ修学旅行へ行った時、入国スタンプを貰いたいと学校の先生に出発前に相談した時の返事は、「輪を乱すため、今回の修学旅行ではやめてくれ」であった。このように学校で集団行動の大切さを教わって育った人が大人になって急に個人を優先し始めるとは考えにくい。

 第二の原因は、日本人は社会的地位や世間などの外からの目を特に気にするからだ。大学選びの際、二つの大学で迷っているとする。一つ目の大学では自分の学びたいことがあるが、あまり周りに知られていない大学で、二つ目の大学は学びたい方向性と少し違うけれど有名大学であった場合、より世間に知られている名前の大学へ進学したいと思うだろう。最近は、「この教授の授業が受けたいからこの大学に進学したい」という理由で大学を決める人も増えてきたが、一昔前はなるべく偏差値の高い、名前の知られている大学に入ろうということしか決めていなかった生徒が多かっただろう。また、手土産のお菓子などでも同じことがいえる。地元のお菓子より、デパートで売られている有名なお菓子を選ぶ人が多いだろう。自分が本当に美味しいと思うものよりも一般的な物を選ぶことで相手の人の機嫌を損なう可能性が低いのかもしれないが、時には自分の意見を貫くことも大切だ。

 確かに、集団行動のおかげで日本は経済的に成長できた面はあるだろう。しかし、経済発展がある程度進んだ今は個人に対して目を向けてもいいのではないだろうか。「個人は、周りのために生きているのではなく、自分のために生きているのである」というように、個人が存在してこそ、社会は成り立つのである。日本は先に社会が作り上げられてしまったので、これからは個人の時間を取り戻す必要がある。どこかで自分の時間と働く時間のバランスを整えておかないと、この先の社会でそのうち問題が生じてくるだろう。