「ミミズがある生態系に」感想文
中1 あさくに(asakuni)
2025年11月1日
要約:この「ミミズがある生態系に」の作文を読んで僕は思わず感嘆してしまった。まず、全体的な作文の構成に感心した。最初にダーウィンのミミズについての研究を言及しながら、読者にミミズの自然界での役割を述べた。そして小説、「複合汚染」の作者、有吉佐和子さんの小説で書かれてあるミミズの部分を引用して、読者にミミズと土の複雑な関係性を説明した。このように著者の素晴らしい語彙力に足して、考えられた構成を目にし、まさに「鬼に金棒」とも思えた。
僕は自然界にある小さなものの役割を見直すことが大切だと思う。なぜかというと、自然界に何か残っているという事は何か不可欠な要素を含んでいるからだと思う。例として、作文で取り上げられたミミズで考えてみてはどうだ。ミミズは一見小さく、弱く、そしていかにも無力に見えるだろう。そしてそんな生きている意味のなさそうな生物が、今もなお地球のどこかで生きているのにはちゃんと意味があり、地球の土などを「生かしている」のだ。そしてそのミミズの数少ない特色を真似するように人間の生活リズムにも導入してみてはどうだ。ミミズが食べる未知の土のように人間も知らない知識を「食べ」、新しく得た知識を「排出」、アウトプットしてみてはどうだ。そしたら自分の周りの教育環境が「肥沃」になるだろう。このように色んな生物の良いと思うところを見よう見まねで自分の物にしたら、必ず理想の自分に繋がるのだと僕は信じている。
ミミズなどの自然界にある小さなもののように小石も「無用の用」の一つだと思う。一見たまに靴底にはまり、取り出すのが非常に厄介で自然界にはいらないと思われがちな小石だが、僕は小石には重要性があると思う。よく都会で見かける小石は僕の中では小石ではなく、コンクリートの破片ととらえている。天然の小石は地球の熱から生み出された、地球の凝縮形態であり、人類によって作り上げられたそこら辺のコンクリートのかけらとは比べ物にならないのだ。地球の進化の過程で生まれた「小石」はコンクリートの欠片にはない独特の雰囲気があり、道端で遭遇するだけで自然が身近にあると思う。そして、自然が近いと感じながら勉強に取り掛かると、効率よく学習できている気もするのだ。実際A-LINEというウェブの調査によると、自然に触れ合う事で、ストレス軽減、精神的及び肉体的健康の向上、創造性や生産性の向上なども見られたそうだ。このように小さくてたまに足手まといの小石も、気付かぬうちに様々なポジティブな効果を呼んでいたのだ。
自然界には大小異なる物や生物が多数存在する。そして大きく目立つものに気が取られそうななか、小さなものに目を向けてみてはどうだ。そうしたら、自分の改善点が見つかったり、能力向上などに直結するものが隠れているかもしれません。イギリスのダンバー出身の作家、ジョン・ミューアはこのような名言を残している。「山に行くことは家に帰る事」と。これは二つ目の理由として僕が挙げた理由と共通して、自然、この場合では「山」に行く事は、「家」に帰るように心と体を癒してくれるのだと僕は解釈した。自然の壮大さなどに気が取られそうな中でも、些細な事に着目したら、必ず自分の為になるのだと思う。