うちにある古い物

    ()  年月日

 「これいつの⁉︎」

 わたしは祖母の家にあった人形を見て思わず叫んだ。それは今の売店には絶対に売ってなさそうな、キーウィとカモノハシの人形だ。

 キーウィはあまり本物のキーウィに似ていなく、最初に見たときは、足がすごく短いただのもふもふしたものにしか見えなかった。一方、カモノハシの人形は、ものすごく本物に似ていた。カモノハシ特有の太く平たい尾や、水の中で進むための水かきが見事に表現されていた。現在は妹のものになっているその人形について母に聞いてみた。すると、思いもしなかった答えが返ってきた。なんと、その人形は約20年前に開催された愛知万博で買ったものだったのだ。古いのは分かっていたが、まさか、それほど古いとは思いもよらなかった。その年の万博では冷凍マンモスが展示されていて最大待ち時間が8時間ほどのおおにぎわいだった。しかし、母からきくと、今では考えられないが、始まったばかりの、平日の夕方に行くと、全く人がいなくてどれも自由気ままにに見れたという。その万博で買った人形のカモノハシとキーウィの人形はオーストラリアパビリオンで買ったものらしい。わたしは、古いものはその時代のようすが分かるものだと思った。

 我が家には写真の中に写真が、その写真の中に写真が写っているという不思議なものがある。これは、わたしや妹が生まれたばかりからあるものだ。誕生日の時に毎回写真を撮り、次の年に去年取った写真を持って撮る。同じ風景を後ろにして撮っているので、見ていて成長がわかり、楽しい。また、その時の誕生日にもらったプレゼントや、自分で作ったものなども、身につけていて見ていると昔のことがよく思い出せる。特に、7歳頃の写真は誕生日にもらったお化粧で派手にメイクをしていて、おもしろおかしく、つい笑ってしまう。わたしは4歳ごろまで髪が全然生えてこなくて、男の子だと思われたり、赤ちゃん扱いをされていたのも思い出し、それも笑えてくる。特に、赤ちゃんの頃の写真が自分でも、「こんなに可愛い赤ちゃんはいないんじゃないか」と思うほど愛くるしく、かわいらしかった。私は、古いものは自分の歴史が詰まって凝縮されたものだと感じた。

 人間にとって古いものとは、その人の歴史や思い出が凝縮され、詰まっているものだ。また個人のものだけでなく、その時代の出来事や背景も映しだしている。わたしはこれから、古いものの特徴や歴史を学んでいき、キーウィとカモノハシの人形、そして自分の成長が詰まっている写真を大切にして過ごしていきたいと思った。