過程を理解し応用する

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 現代社会では、政治や経済の仕組みが、巨大な「機械」と化し、人々の自由や個性が抑えられている。人は効率から合理性を優先するあまり、自らもその機械一部となってしまっている。私たちは、機械に抗して個体性を続けるべきだ。

 そのための方法として第一に、マニュアルに頼らないことだ。そもそも、マニュアルというのは誰かが作った型であり、それに従うだけでは自分の考えや判断を放棄することにもつながる。もちろん、一定の基準や手順を理解することは、効率的に行動するうえで必要である。しかし、すべてをその枠に収めようとするならば、そこには創造性や主体性が入り込む余地がなくなってしまう。だからこそ、私たちはあえてマニュアルから一歩離れ、自らの頭で考え、状況に応じて柔軟に行動する力を養うべきなのだ。たとえば、文化祭の出し物をするときのシフトをしたとき、手順がかなり決まっており、それに従っていた。しかし、その時その時で特別な対応をしなければいけなかったり、幼稚園の子供を相手にするときは違う対応をしなければならず、戸惑ってしまった。しかし、意外とその場に合わせて自分の判断を信じて行動することで、うまく対応することができた。そのとき、最初こそ決められた手順に従うのが安全だと思っていたが、実際に行動してみると、必ずしもマニュアル通りでは上手くいかない場面があることに気がついた。この経験を通して、私はマニュアルは「手段」であって「目的」ではないと強く感じた。すなわち、マニュアルに従うだけの人間は、機械の部品として動くだけの存在に過ぎない。しかし、自ら考え、失敗を恐れず行動する人こそ、機械的な社会の中でも個性を保ち、他者と異なる光を放つことができるのだ。したがって、私たちはマニュアルに依存せず、常に「自分ならどうするか」という視点を持ち続けることによって、機械化する社会においても人間らしさを失わずに生きることができるのである。

 第二に、正しい結果よりも、途中の試行錯誤の過程を評価する社会にするべきだ。なぜなら、結果だけを重視する社会では、人々が失敗を恐れ、新しい発想や挑戦を避けるようになるからである。確かに、結果は努力の成果を示す重要な指標である。しかし、それだけを基準にしてしまうと、失敗を通して得られる気づきや成長の価値が見落とされてしまう。むしろ、失敗を恐れずに試みを重ねる姿勢こそが、社会全体の創造力を高めるのではないだろうか。たとえば、アメリカの航空宇宙局NASAでは、1960年代のアポロ計画の際に、数え切れないほどの失敗実験を経て月面着陸を成功させたとされている。特に、アポロ1号の火災事故で3名の宇宙飛行士が亡くなったという悲劇を教訓に、NASAは安全管理体制を全面的に見直し、以後の開発において失敗の共有を制度として定着させた。結果だけでなく、失敗の過程を分析し次に生かす姿勢が、最終的な成功を導いたのである。このように、試行錯誤を正当に評価する仕組みが、技術の進歩を支えている。この事例は、社会にも大きな示唆を与える。もし企業や学校が、成功した成果物よりも、そこに至るまでの思考や努力の過程を正当に評価するようになれば、人々はより自由に発想し、挑戦する意欲を持てるはずだ。社会が結果主義から過程主義へと価値観を転換することで、個人の潜在的な力が引き出され、全体としての創造性が高まるだろう。したがって、私たちは結果に一喜一憂するのではなく、試行錯誤を恐れず挑戦する人を称える社会を築くべきである。

 確かに。先人の知恵を生かすことも、能率を上げるための一つの方法だ。しかし、「結果は終わりを語るが、過程は未来を語る。」というように、自分の行うことは自分で責任を感じ、臨機応変に対応できる力を大切にしていくべきだ。