縛られている
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年月日
人間は、同調圧力、規則、マニュアルにしばられすぎていないだろうか。ときに、
私たちは機会に抗して、個体性を持ち続けるべきだ。
そのための第一方法はマニュアルにたよりすぎないことだ。
マニュアルがあるということは、私よりも先に誰かがやったことがあり、やり方が確立されている。逆に、誰もやったことのないことをするということは、マニュアル通りにするよりも勇気が必要でまた、野望な道を進むことになる。それと引き換えに、これまでなかったことやできなかったことができる。新しいものを生み出すことは容易ではないのだ。これまで日本の数々の企業が知恵を絞り沢山の斬新な商品をつくってきた。その開発力は世界でも称賛されており、日本発祥のものが世界で使われているということはさほど珍しくないようにおもえる。その一つが、携帯にカメラ機能をつけたことだ。二〇〇〇年にJ-PHONE(のちにソフトバンクが買収)という会社が発明したものだった。当時の人々の中での携帯というのは、通話とメールをすることができるものとして思われていた。そこに、カメラ機能を導入したことにより携帯は、「言語の道具」から「視覚の道具」へ転換されたのだ。行為そのものの定義変更がされたのだ。現在では、携帯にカメラ機能があることは当然とされているが、当時ではありえないことであり、また携帯という小さな機械にカメラ機能を入れ込む技術は開発されておらずとても難儀しただろう。それでも、マニュアルから外れたことをすることで、これまでなかったことを誕生さすことができるとわたしは、おもっている。
第二の方法は、規則に遵守することを重きに考える社会を変えることだ。
日本人は時計の秒針のように、忙しく、一つのくるいのないように過ごしていると思う。日本は時間に厳しいのだ。仕事や学校の課題提出において納期以内に仕上げて提出することが絶対条件である。どんなに仕事のスキルがあっても、課題内容が良くても、期限までに終わらせなかったら価値がなくなるのだ。時間を守れない人は、周りの人からの信用を失いかねない。それくらい、日本社会において時間を守るということは大切なのだ。では、なぜこのような考え方がうまれたのだろうか。
その要因の一つは、18世紀後半〜19世紀前半にイギリスでおきた産業革命が関わっている。産業革命前の人々の生活は、農業や家畜、酪農などをして暮らしていた。自然を相手にする仕事は、毎日何時にこれをして、と決めた通りに仕事を行うのではない。そのため時間にルーズな生活を送っていたのだ。しかし、産業革命により人々の収入源は自然から機械へと変ったのだ。会社の経営者は生産効率を上げるために労働者に時間通りにうごいてもらう必要があった。社会は、時間を守れる人材が求められ、教育現場においても時間に厳しくなったのだ。当時、イギリスでうまれたことわざが「時間は金なり」である。残念ながら、時間を守ることだけに気を取られてしまうと肝心な内容がおろそかになってしまいかねない。ときには、時間にとらわれずに仕事や課題をやるときがひつようである。そのためには、規則などの決まり事を守ることが絶対条件じゃない社会に一人一人がしていくことだ。
確かに、マニュアルや規則というのは過去におきた失敗やあやまちを再び起こさないようにする役割がある。しかし、均質化した個人ではなく、一人一人が主演の人生を送っているのだ。そうあり続けるために個体性を持ち続けることだ。