保護と「過」保護
()
年月日
ある保健担当機関が健康管理の効果に関して調査を実施した。研究者達は健康管理の有無によって被験者を二つのグループに分け実験をしたが、結果が彼らを驚かせた。なんと健康管理の対象にならなかったグループほど病気になった人数が少なかったのだ。この結果は自分の身体に耳を傾けるほど健全な生活を送ることのできる証明だと言えるだろう。子供の養育も同じだ。子どもが動物としての感覚を磨き成長するためには本能のままに行動していくことも必要なのではないか。
確かに過保護は生きる力を弱めるため良くない。正直に言うと、私は時間管理が得意ではないところがある。中学校生活に十分慣れた時期であるにしても、宿題の提出や定期試験の勉強が期日の寸前となってしまうことは少なくない。この原因として今振り返って考えられるのは、親に時間管理をしてもらっていたことだ。遅刻しそうになったとしても教科書や洋服の準備をしてもらい、学校に登校していた経験は記憶に新しい。しかし中学生になると状況は一変した。小学生の時よりも予定が圧倒的に増えたことで複数の課題や塾のスケジュールを自分自身で計画し、並行して達成していくことに改めて時間管理の難しさを痛感している。もしも親の姿を手本にどのように予定を管理していくのかを自主的に学んでいれば、今のような状況に置かれることはなかっただろう。このように「保護」という一つの殻から抜け出すことで分かる別の世界、新しい物の見方がある。自立したことによって今まで親の手助けなく自分一人で最後まで取り組む大変さが分かったとともに、今までそばで見守ってくれた親への感謝の気持ちを持つことができたと私自身実感している。このように考えると過保護である時間も人間としての成長において必要な時間なのかもしれない。
一方、保護や管理も大切だ。適切な保護をされなければ人間のもとある能力が失われてしまうからだ。極端な話だが、野生児もその一例だろう。以前読んだ本にこのことについて書かれていたことを覚えている。調べてみると今までに複数の野生児が存在し、人間社会での生活に苦労していたことが分かる。「アヴェロンの野生児」はその有名な一人だとされる。彼は1800年のフランスで11~12歳程度で発見され、保護を受けた。様々な施設を回り、教育を受けたものの最終的には言語・知的能力を十分身に付けることはできなかったそうだ。他の野生児に関しても保護を受けたとしても間に合わず、容姿や人間としての能力が発達しなかったケースが多い。もしも彼らが子供から大人になる成長過程において親や身の回りの人の適切な管理を受けていたとしたら、彼らは私達と同様に誰にでも分かる言葉を話し、人間社会の一員として生活することができていただろう。当たり前のことではあるが、人間の一生は一度きり、やり直しは望んだとしても不可能である。だからこそ自立ばかりに注目するだけでなく、幼い頃は守られた環境の中で過ごすことが安心した自立への基盤づくりに繋がってゆくと私は考える。
確かに保護や管理はそれ自体が良いのでも悪いのでもない。最も大切なことは経験する一つ一つの物事に対し「私だったら……」と常に考え、自分には一体何ができるのか、できないのかを知ることである。「人間にとって最も重要な知識は、自分自身についての知識である。」という言葉がある。自分のことを知らず、どのように成長していきたいのかが分からなければ長い目で見た自分の人生計画を立てることはできないだろう。私も経験する一つ一つの物事に対して自分の考えを膨らまし、人生を豊かにしていきたい。